> オカルト資料 > 超摩訶不思議Xファイル > Article


[2013.04.29]

スウィーニー・トッド
~悪魔の殺人床屋は実在したか~



  • このエントリーをはてなブックマークに追加

【いらっしゃいませ、さようなら】


殺人床屋スウィーニー・トッド(Sweeney Todd)▲
回転椅子と剃刀で客を次々あの世逝きにする。
通説によれば、スウィーニー・トッドは1748年、 貧乏で酒浸りの絹織物職人の息子として生まれた。
幼いスウィーニーは織物工場で両親とともに働きながら成長するが、 14歳の時に窃盗の罪で監獄に送られ、凶悪犯達と生活するうちに、監獄の理髪師である受刑者エルマ・プラマーの養子になる。
釈放後は、不条理な社会への怒りが彼を支配し、フリート街で構えた店で連続殺人を開始する。

殺人床屋スウィーニー・トッド(Sweeney Todd)▲
回転椅子と剃刀で客を次々あの世逝きにする。
通説によれば、スウィーニー・トッドは1748年、 貧乏で酒浸りの絹織物職人の息子として生まれた。
幼いスウィーニーは織物工場で両親とともに働きながら成長するが、 14歳の時に窃盗の罪で監獄に送られ、凶悪犯達と生活するうちに、監獄の理髪師である受刑者エルマ・プラマーの養子になる。
釈放後は、不条理な社会への怒りが彼を支配し、フリート街で構えた店で連続殺人を開始する。
スウィーニー・トッドは、18世紀末のヴィクトリア朝時代のロンドンで残忍な犯行に及んだとされる連続殺人鬼です。
1785年、大英帝国の帝都ロンドンの中心部、 シティー西端に位置するフリート・ストリートという短い街路は、 今でこそ、名のある新聞各紙の本社が立ち並ぶインクの街なんですが、当時は下層民が住むスラム街だったんですね。
ここの186番地には、通りに面する一軒の床屋が営業していた。
主人のスウィーニー・トッドは、赤毛で青白い顔(まさに床屋カラー)の、いつも太い眉を寄せて不機嫌そうな表情をしている人物でしてね、店の窓には「Easy shaving for a penny.(お金と引き換えに気楽に剃れます)」ってな韻の良い覚えやすいフレーズの看板が掲げられ、店内の中央にはひとつの床屋椅子が設置してあり、手洗い用の水受け皿に、端の方には待機する為の客用のベンチ、ハサミと剃刀でいっぱいのラックがあり、誰に聞いても、小さな暗い場所と答える様な感じだったそうなんですよ。
(2階はスウィーニーの住居で、地下室もあった)


『スウィーニー・トッド、フリート街の悪魔床屋』の挿絵▲

『スウィーニー・トッド、フリート街の悪魔床屋』の挿絵▲
実はこの床屋、非常に恐ろしい場所でしてね、店に誰か客が来ると、スウィーニーは不気味に微笑みながら出迎え、 まず、目のくりくりした見習いの少年トビアス・ラッグ(彼は何も知らない)に、お駄賃と引き換えに、客に出す為のフィッシュ&チップスを買ってくるよう命じてお使いにやる。
でもって、客が椅子に腰掛けた後、最初のうちは普通の床屋の所作で、世間話しながら 散髪や髭剃りの準備を行う。
そのうち客が足のつきにくい旅人である事が分かると、 スウィーニーは「熱いお湯とタオルを持ってくる」とか何のかんの理由をつけ、 客に少しの間そのまま待つよう伝え、奥の別室に移動する。
そして、しばらくすると、客は別室の方から鈍い音を耳にする事になるが、 その時にはもう手遅れで、客は悲鳴をあげる暇も無く、椅子ごと床下の四方に空いた穴の中に吸い込まれていってしまう。
これは、スウィーニーがレバーを引くと、 椅子がガタンと後ろに傾いて、頭から地下室に落ちてしまうってな仕掛けが施してあり、床板の表裏に椅子が固定されており、回転すると元通りになるよう作られていたんですね。
この恐ろしい仕掛けを使ってスウィーニーは、事もあろうに、次々と客を殺していったそうなんですよ。
犠牲者の大体は落ちた衝撃で首を折って死んでしまうんですがね、たまに死に切れない事もあり、そんな場合はすぐにスウィーニーが、丹念に研いだ剃刀で喉をかき切って息絶えさせるんだなあ。


ラヴェット夫人▲
彼女の取り仕切る「ベル・ヤード・ベーカリー」のミートパイの味は広く知られた。

ラヴェット夫人▲
彼女の取り仕切る「ベル・ヤード・ベーカリー」のミートパイの味は広く知られた。
でもって、客の遺体から金目の物を奪った後、遺体は四肢を解体され皮膚を取り除かれ、地下道を通じて、通りを挟んだ向かい側にあるミートパイ屋「ベル・ヤード・ベーカリー」を営む未亡人のラヴェット夫人(名前はマージョリー、サラ、ネリー、シャーリー、クローデットなど様々あるが定かではない)に引き渡される。
ラヴェット夫人は一見するとぽっちゃり系の可愛らしい容姿であったものの、その本性は残酷なもので、 スウィーニーから得た死体を自分の店の地下にある製造工場で刻んでカマドで焼き、 毎日大量に人肉パイとして販売し、多くの人々に振舞っていたんですよ、ええ。
しかも、これが何故だか結構美味いと評判で、店は1時間以上の行列が出来るくらい繁盛したそうなんですねえ。

クイズに不正解だと熱湯や粉に落されるバラエティー番組みてーな仕掛けじゃな・・・!

以前近所の床屋さんで前髪切り過ぎちゃった時はいっそ殺してって気持ちになりましたよ。

そこは仮にも女子高生なんですから美容院に行ってくださいよ・・・。


【殺人床屋の実在説】

もうめんどくさくて直接剃刀で客を殺めるスウィーニー・トッド▲

幾度も舞台・映画化がなされているスウィーニー・トッドの物語▲
最近でも2008年に、ティム・バートン監督によるジョニー・デップ主演の映画『スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師』が公開された。

幾度も舞台・映画化がなされているスウィーニー・トッドの物語▲
最近でも2008年に、ティム・バートン監督によるジョニー・デップ主演の映画『スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師』が公開された。
以上が、150年以上人々に語られ続け、 幾度もミュージカルや映画の題材になっている連続殺人鬼スウィーニー・トッドの物語の概要です。
もともとこの話は、『ピープルズ・ピリオディカル(みんなの雑誌、家族の図書館)』なる定期刊行誌に1846年11月21日から18回連載された『真珠の首飾り(The String of Pearls:A Romance)』(トーマス・プレスト著)っていう犯罪小説に出てきたものでしてね、翌年に『フリート・ストリートの悪魔の理髪師(The Demon Barber Of Fleet Street)』のタイトルで舞台として上演されて評判になり、話しが広く伝わっていくうちに、いつの間にか実際にあった「理髪師とパイ屋」の話として都市伝説化したみたいなんですねえ。
これは当時のイギリスが、封建制度の崩壊により貧富の差が拡大し、 凶悪犯罪が増加していたという物騒な社会情勢を反映したものらしく、 また、ヴィクトリア朝時代のロンドンっ子には殺人事件の話題が最も受けるネタであり、 購買意欲を刺激する為、新聞や雑誌などのマスコミも事件が起こる度に、 それこそ事実と噂を織り交ぜてセンセーショナルに報道する事で、大衆の心理を興奮状態に導き盛り上げていたってのが、どうも背景にあるみたいなんですね。

んだよ、てっきり実話かと思いきやR15指定のフィクションかよ。

危うく怖くてしばらく髪切りに行けなくなって、パイどころかパイの実すら食べれなくなるところでしたよ。

人によってはトラウマになりそうな内容ですからね・・・。


言う事聞かない悪い子はスウィーニーがこうだ▲

言う事聞かない悪い子はスウィーニーがこうだ▲
英国ではスウィーニー・トッドはお化けの様な扱いだそうで、手に負えない若者などには、無作法に振る舞うとスウィーニーに攻撃されるから用心せよってな具合に、食卓にミートパイが出され警告がなされたりしたそうなんだ。
また、しばしばスウィーニー・トッドは実在の人物であったと語られる事があり、1878年にチャールズ・フォックスが出版した『スウィーニー・トッド、フリート街の悪魔床屋』によれば、彼はイングランド北部の生まれであり、1860年頃にロンドンに出てきて、クラチッド・フライアーズに小さな床屋を開店した時は約17ヶ月間営業を続けたそうです。
そこで資金を貯めて、125ポンド払って、フリート・ストリートのもともと洋品店だった店舗を借り、 内装を床屋に改造して住み込みで営業を開始したとされています。


フリート・ストリートの聖ダンスタン教会▲

フリート・ストリートの聖ダンスタン教会▲
しかし、ウィル・ロフツという研究者の調査によれば、 スウィーニーの店があったとされるフリート・ストリート186番地に床屋が営業していたという記録は、 少なくとも1766~1850年までのロンドン住所氏名簿に存在せず、強いて言えば似たような名前で、 1830年にサミュエル・トッドという真珠の加工屋と、17世紀にトッド&クルークという茶商が住んでいたくらいであったそうです。
スウィーニーの店の隣にあったという聖ダンスタン教会もフリート・ストリートに実在するものの、 現在のものは、1833年に移転改築されたもので、地下道などは無いみたいです。
1880年代にフリート・ストリート一帯の古いビルが崩壊の危険からかなり取り壊された時は、 その中に186番地の建物もあり、そこの地下室を掘り返したところ人骨が出て来たもんで、 当時はスウィーニーの悪の所業が裏付けられたって話題になったそうですが、 実際は元々移転される前の聖ダンスタン教会の敷地であっただけの事だったそうです。


イギリスの作家ピーター・ヘイニング(若い頃)▲

イギリスの作家ピーター・ヘイニング(若い頃)▲
また、恐怖と犯罪を扱う小説作家ピーター・ヘイニングも、1979年と1993年に発表した2冊の著書の中で、スウィーニー・トッドは 1800年頃に実在した人物であるという説を主張しているんですがね、彼以外の研究者はその実在の証拠を発見出来ていない(へイニングも信頼に足る証拠は掲示していない)みたいなんですね。
ですが、スウィーニーの事を小説で記したトーマス・プレストは、作品に実際の犯罪記録からインスピレーションを得る事が結構あり、少しの真実に基づいて独自のホラー色を出す傾向だった事から、 モデルになった人物が実在したのではないかとも云われているんですよ。
さらに、ヘイニングの調査によれば、スウィーニーは結婚してはいないものの、ふしだらな女性と同棲していたという事を示す記録があったらしいんですよ。
それは彼の最初の殺人の記録でもあり、ある日の午後、酔った騎士がヒゲ剃りにスウィーニーの店に訪れた際、どうやらスウィーニーの恋人の女性を好いてしまったってな事を告げたそうでしてね、したら、それに憤慨したスウィーニーは、この時初めて、武器として己の手の剃刀を使い、その騎士の喉をかき切って殺しちゃったみたいなんですね。
さらに、1878年9月発行の『オールド・コックニー伝説』ってな文献にはこう書かれているんですね。
「この物語が18世紀のロンドンで、本当に怒った悲劇に基いている事は断言できる。きれいにヒゲを剃り、安いマトン・パイを食べる連中が被害者である」と。

もしかしたら、床屋がやたら話しかけてくるのは、 客を値踏みして得物にすべきか調べているのかもしれぬな・・・!

え、じゃあどうしよう、 帰りに安いお菓子貰えるの楽しみにしてるのに、行けなくなっちゃう・・・。

安いお菓子まだ貰ってたんですか!?


殺した客の犬に襲われるスウィーニー・トッド▲

殺した客の犬に襲われるスウィーニー・トッド▲
イギリスの犯罪史を遡ってみても、スウィーニー・トッドの名や、同様の事件が起こったという記録は残っていない。
しかし一方、フランスのパリでは、 類似した事件が実際に発生していたらしく、 1825年発行の雑誌『ザ・テル・テール(密告者)』によれば、 1800年のパリのハープ街で、やはり床屋が客の咽喉を切って殺し、所持品を奪って死体を近所に住む仲間のパイ屋に運び、 ミート・パイの材料にしていたという事件があったそうなんですよ。
つまり、作者のトーマス・プレストは、小説の題材を探して古雑誌を読み返し、 たまたま見つけたこの事件を下敷きにスウィーニー・トッドの物語を書いたとも考えられるんですね。
「恐怖の殺人と人肉パイ屋」と題された事件の概要は大体こんな感じです。
パリのハープ街にアランとシャルルという2人の紳士が商談の為にやってきて、 取引相手と会う前に、身だしなみを整えようとヒゲを剃りにとある床屋に入る。
アランは飼い犬を連れており、店の前に繋いでおいた。
床屋は主人1人だったので、アランが先にヒゲを剃ってもらい、その間シャルルは近所で用事を済ませて来る事にした。
ところがシャルルが戻ってくると、友人のアランの姿は無く、 床屋の主人も彼はヒゲを剃り終えると出て行ったと答えた。
しかし奇妙な事に、アランの飼い犬はその場でロープに繋がれたままで、 彼を待ち続けていた。
シャルルは伝言も残さず、飼い犬も置き去りに姿を消すだなんて、 こりゃおかしいなあ、尋常じゃないなあ、なんて疑問を感じつつも、 仕方なく友人の犬を連れて帰ろうとロープを解いたところ、 犬は突然床屋に飛び掛り、怒りの形相で咽喉に噛み付いた。
そして犬は店内を走り出し、階段を下りて地下室に向かった。
犬がそこで悲しげに吠え続けるので調べてみると、咽喉を裂かれて 殺されたアランの死体が隠されていたんですね。
床屋はその場で逮捕され、今まで金を持ってそうな旅行者などの客を狙って、 剃刀で殺害後、死体は地下室の壁に塗り込んでいた事が明らかになったそうです。
さらに、その床屋の地下は隣のパイ屋と繋がっており、 共犯者のパイ屋が定期的に死体の肉からパイをこしらえて販売していた事が判明したそうです。
この話は長い間、世間への影響を考えて公表が伏せられていたそうですが、 いつしか情報が漏れて知られるところとなった。
当時の警視総監でオトラント大公だったジョセフ・フーシェの著書『警察の公式記録』にも、事件の詳細が記されているみたいです。


殺人床屋は実在したのか?▲

殺人床屋は実在したのか?▲
さらに、年間の事件や情報を記録した『アニュアル・レジスター』の1784年版には、「野蛮な床屋」という記事があり、 「ハイド・パーク・コーナーの近くに住む出張床屋の恐ろしい殺人が発覚した。自分の留守に妻に会いに来る若い男に嫉妬し、 妻といちゃついているところを襲った。酒で酔っている男の咽喉を剃刀で切り裂き逃亡した」という内容が載っているそうです。
また、もう一つ、「咽喉切り床屋」という事例も載っており、 「フリート・ストリートの路上で恐るべき殺人が起こった。田舎からロンドンを訪れていた若い紳士が、シティから歩いてきて聖ダンストン教会の時鐘に感心して立ち止って見ていたところ、床屋の白いエプロンを着た男がやってきて話しかけた。 すると突然床屋はエプロンの下から剃刀を取り出し、若い紳士の咽喉を切り裂いた。 そして財布を奪うと、ヘン&チキン・コートの路地(186番地の真裏)に消えて行った」とある様です。

って事は、やっぱりモデルになった人物というか、事件自体は本当にあったって事なんですね・・・。

事実は小説よりも奇なりというか、事実を基にして小説にしちゃったパターンみたいですね・・・。

人間にとって一番恐ろしい存在は同じ人間だという事か・・・。


【悪魔の最期】


床屋とパイ屋の地下で秘密裏に行われた戦慄のシステム▲

床屋とパイ屋の地下で秘密裏に行われた戦慄のシステム▲
そんなこんなで、スウィーニーは多くの人々を血祭りにあげていった訳なんですがね、しかし、次第に周囲では、彼の店に入った客が、その後二度と姿を見せなくなるってな噂が囁かれる様になり、とうとうスウィーニーとラヴェット夫人の世にも恐ろしい悪行はバレてしまう事になる。
物語によれば(バージョンによって違いはあるものの)、そのきっかけは、ある時、スウィーニーの床屋に隣接する聖ダンスタン教会の礼拝堂で、思わずハンカチで鼻を覆ってしまう程の悪臭が漂ってくる様になったそうで、それは数ヶ月に渡って続き、疾病は蔓延る事を心配した関係者は、ロンドンの衛生局や警察に連絡を取って、調査を行うも原因は不明だったんですね。
実はその悪臭ってのは、スウィーニーお気に入りの死体の残骸の捨て場であった、聖ダンスタン教会の地下墓所からの腐敗臭でしてね、当然その墓所(ついでに近くを通る下水道など)も調べられたそうなんですが、まあ、何百年も前に作られた地下墓所に死体がゴロゴロあるのは当然の事なので、悪臭がいっそう強かったとはいえ、俄かにそうだとは気づかれなかったんですね。
しかし一方同じ頃、巷ではスウィーニーの店に行った数人の水夫が行方不明になったってな噂がゴシップの舌を回らせ始めており、教会の不可解な悪臭とリンクさせないまでも、この事に注目した警察が、スウィーニーの過去を洗った結果、彼が以前、一対の銀の靴のバックルの窃盗容疑で訴えられた事が判明したそうなんですよ。
その盗まれたバックルは、かなり一般的なタイプだったので、訴訟は効力がなかったそうなんですがね、しかし、スウィーニーを告発した女性は、不思議な事にある日突然姿を消した彼女の夫のものと、明らかに同じバックルをスウィーニーが自身の靴につけていたと頑なに主張したそうなんだ。


警察にマークされるスウィーニー・トッド▲

警察にマークされるスウィーニー・トッド▲
火の無いところに煙は立たないって事で、疑いを強めた警察はスウィーニーの店を厳重な監視下に置き、以降数ヶ月に渡って張り込みを行った結果、ある男性客が店に入ったっきり、その後二度と姿を見せなくなったってな事があったそうなんだ。
警察のチーフである推理力抜群なリチャード・ブラント卿は、スウィーニーが客を殺害している事を確信し、より多くの証拠を探すべく、再び教会の地下墓所へ訪れたところ、ついに、悪臭の源である死体の残骸(骨や肉片)が積み重ねられている場所を発見し、さらには、ラヴェット夫人の店の裏まで続く血の足跡を見つけたそうなんですよ、ええ。
これだけでも十分決定的な証拠である気がしますがね、スウィーニーを殺人容疑で逮捕するにはまだ足りず、より慎重に動くべきだと考えたリチャード卿は、仕方なく、とりあえず、スウィーニーの店に入る全ての客に部下を同行させる緊急措置を取ったんですね。
しかし、思いのほか、その後の展開は早かった。
地下墓所での発見の2日後、捜査員は隙をついてスウィーニーの住居である建物の2階を捜索する機会に恵まれ、明らかに略奪品と思われる、失踪した人物の名前やイニシャルの入った実に160人分にも及び衣類や宝石を発見したんだなあ。

これ例えば「イケメン風にしてくれ」って注文した奴が板前風の髪型で店出てきたから、行方不明扱いにされた可能性もあんじゃね?

おっと、それはそれで事件ですね・・・。

んな訳あっかい!
前回も寿司屋の大将とか言ってたし、そのネタ気に入ってんの!?


処刑台に連れられるスウィーニー・トッド▲

処刑台に連れられるスウィーニー・トッド▲
この報告を受け、もはやこれ以上時間を費やす事は出来ないと悟ったリチャード卿は、部下を2チームに編成し、スウィーニー及び、同時に捜査を進めていたラヴェット夫人の逮捕にとうとう踏み切った。
この時、ラヴェット夫人の逮捕の際、警官が彼女の店に駆けつけてきたところ、店内には数人の客がいたそうなんですがね、ラヴェット夫人が販売していた人肉パイの事が明らかになるや、激昂した彼らは暴徒と化し、彼女をリンチし、ズタボロにしちゃったらしいですよ。
ところが、かたや殺人を行ったスウィーニーの方はというと、警官がやってきた時には店に1人ポツンといたそうでしてね、ラヴェット夫人とは相反して、人知れず連行されたみたいなんだ。
その後、逮捕されたラヴェット夫人は検察官に、自分とスウィーニーの犯行を洗いざらい白状した後、1801年12月に、ニューゲート刑務所の獄中で隠し持っていた毒薬で服毒自殺しちゃったそうでしてね、一方そんな事実は一切知らされないスウィーニーは、オールドベイリーで裁判にかけられて絞首刑を言い渡され、1802年1月25日にニューゲート刑務所庭(タイバーン刑場ともされるが、18世紀以降は死刑執行はされていない)にて、何千もの群衆の前で処刑されたそうです。


髪やヒゲだけじゃなく、あなたの命もカットします的なスウィーニー・トッド▲

髪やヒゲだけじゃなく、あなたの命もカットします的なスウィーニー・トッド▲
なお、繰り返しますが、これらの話は事実に基づいている可能性はあるとはいえ、あくまで物語上の話でして、 当時のオールドベイリーの裁判記録やニューゲート刑務所の記録、 新聞や雑誌などの報道記事にスウィーニーの存在や事件に関する記載は一切確認されていないんですね。
(ニューゲート刑務所の1802年1月29日の日誌に、 トッドという名の気が狂った床屋の経歴が詳しく記述されていたとの情報もあるが信憑性は定かではない)
あと、一説にはスウィーニーは死刑にならず、逃げ延びたスコットランドのフォレスで死に、 現地の墓地に埋葬されたという噂もあるみたいですよ。

なるほど、じゃあ良い子の皆は安心して床屋さんに行って下さいね。
私もあとでパイの実食べます。

こんなエグい内容の記事そもそも良い子に見せんなよって気はしますけどね・・・。

だが、油断してっと刈り上げられ過ぎて社会的に抹殺されちまうかもしれんぞ・・・!

殺した人間の死体をミート・パイにして 証拠隠滅するってのは、実は英国の古典的な都市伝説であるらしく、 聖ニコラウスの伝説中のあるエピソードから端を発している(恐らく11世紀頃に発展した)のではないかとも考えられているそうなんですよ。
それは、ある夜、3人の店員が宿を求めて彷徨い、ようやく迎え入れられたんですがね、泊めてくれた家の主人が彼らをついつい殺しちゃうんですよ。
でもってね、その彼の妻のアドバイスに従い、店員らの死体を焼いてミートパイにして処分する事になるんだ、これが。
まあ結局、聖人によって生き返させられるってな話だそうですがね。

参考:『ロンドンの怪奇伝説』 著・仁賀克雄
初出:[2007.11.17]


■関連記事
FILE019:バネ足ジャック~婦女子を襲う跳躍怪人~
ルーマニアでスーパーマンが目撃される
バニー・マンの都市伝説
切り裂きジャックの顔が公開される
もうすぐ切り裂きジャックの正体が判明する?
切り裂きジャックの正体に新説
ソロモン72デビルズ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

この記事を読んだ人は、多分こんな記事も読んでいます。

Back number

Archives

News Headline

ページのトップへ戻る
inserted by FC2 system