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[2012.03.21]

FILE020:UFO古典事件
〜未確認飛行物体の黎明期〜


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ドラマ『Xファイル』でモルダー捜査官のオフィス(Xファイル課)の壁に貼ってある「私は信じたい」と書かれたポスターの画像▲
UFOとは(Unidentified Flying Objects)の略であり、未確認飛行物体という意味がある。
これは、それまで主に呼ばれていた「空飛ぶ円盤」という呼称が国民に混乱を招くという理由から、 1952年に発足したアメリカ空軍のUFO調査機関プロジェクト・ブルーブック(※脚注1)の機関長エドワード・J・ルッペルト大佐が採用し、 メディアに働きかけた事で一般に定着した言葉だ。
(「UFO」という言葉自体は、1949年4月30日付けの『Saturday Evening Post』誌において、 シドニー・シャレットという記者が初めて使ったとされる)
このUFOというのは空軍の正式用語であり、邦訳の未確認飛行物体の語義通り、 例えば、航空機や気球、人工衛星や流星、さらに鳥でさえ、 未確認の物体であれば等しく当てはまり、本来は空飛ぶ円盤だけを指し示すものではなく、あくまで 正体不明の飛行物体の総称である。

ドナルド・エドワード・キーホー▲
しかし、この言葉が 異星人などの地球外知的生命体が操る乗り物(エイリアン・クラフト)という認識として世間に浸透するようになったのは、 1949年にドナルド・エドワード・キーホー少佐が男性誌『TRUE』に「空飛ぶ円盤は異星人の乗り物」という説= ETH (Extraterrestrial Hypothesis):地球外生命体仮説 の記事を寄稿して大論争になってからだ。
そもそも、空飛ぶ円盤の存在自体が世間に広く知れ渡ったのは、 1947年6月24日、アメリカのワシントン州で、高度9500フィート上空を自家用飛行機で飛行していた青年実業家のケネス・アーノルドが、9機の謎の飛行物体を目撃した事による。
彼の目撃に始まるUFO現象は、第2次大戦後まもなく、米国をはじめとする世界各国の人心を揺るがす重大な社会問題となり、今もなお至る所で、UFO、あるいは異星人が目撃され、(目撃証言の約95%は、見間違いや、データが不十分なケースや、あるいはインチキだったりするが)その論議が繰り広げられている。
U:胡散臭いにも程がある
F:不自然な感じに動く
O:お皿っぽいやつ
の略じゃなかったのか・・・。
んな訳ねえだろッ!つーか頑張って考えてソレかよッ!
日本では大体ユーフォーって言い方しますけど、通ならユー・エフ・オーって言わなきゃですよ。
そこらへんはカップやきそばとピンク・レディーの功罪っぽいですね・・・。
脚注1:アメリカ空軍のUFO公式調査機関は、 1948年1月にオハイオ州デイトンのライトパターソン空軍基地(当時はライトフィールド)内に設立された 「プロジェクト・サイン」以降、コードネームを改称しながら存続し、 1949年2月には「プロジェクト・グラッジ」、同年12月に閉鎖されるも、1951年10月に「プロジェクト・グラッジ」として再開され、翌1952年3月に「プロジェクト・ブルーブック」となり、1968年12月17日に空軍の委託したコンドン委員会がUFOの否定的見解を発表した事を受け、1969年12月に閉鎖されてからは未確認飛行物体の公式調査は行われていない。

【ケネス・アーノルド事件】
ケネス・アーノルド▲
当時の彼は消化装置を扱う会社の経営者で、森林警備隊のレスキュー・パイロットと保安官代理も務めていた。
円盤遭遇時は、墜落した海兵隊のC46輸送機の捜索を行っていたという。
1947年6月24日午後3時過ぎ、アメリカ、ワシントン州カスケード山脈レイニア山付近の高度9500フィート(約2900m)上空を自家用飛行機で飛行していた青年実業家ケネス・アーノルドは、推定時速1200マイル(約2700キロ)という、凄まじいスピードで飛ぶ9個の謎の飛行物体を目撃した。
9個の飛行物体は、大きさが約45〜50フィート(約14〜15m)で、彼が操縦していた自家用機より20マイル〜25マイル(約32〜40km)離れたところを、北から南に向かってジグザグに移動していたそうだ。
目撃時間は2分半〜3分程であり、レイニア山とアダムス山の間を飛行し、南の空へ消えていったという。
後日、彼が記者に「皿を水切りさせたような飛び方だった」という証言をした事により、6月26日付けのロサンゼルス・タイムズにて「空飛ぶ円盤」(Flying Saucer) と報道され、たちまち世界中に広まり、UFO=皿型という認識が固定してしまい、「空飛ぶ円盤」という名称が一般的となった。

「空飛ぶ円盤じゃねえし」と言いたげなケネス・アーノルド▲
しかし、ケネス・アーノルドが実際に目撃したUFOの形状は、三角形型、もしくは丸みをおびたブーメラン型で、皿型ではなかったそうなんだよ。
これは1950年4月7日夜にアメリカ全土で放送されたラジオ番組の対談の中で告白している。
事件の報道後、同様の目撃証言が相次ぎ、事態を重視したアメリカ空軍が、これを「UFO(Unidentified Flying Object:未確認飛行物体)」と名づけ、調査に乗り出したものの正体はつかめず、1969年に「目の錯覚の類」との報告を出した。
航空評論家のフィリップ・クラス氏は、ケネス・アーノルドが見たのは隕石の一群だったと分析している。
一般に、世界で初めてUFOを目撃したのは、このケネス・アーノルドであるとされ、1947年は"UFO元年"とも呼ばれているが、実はそれ以前の第2次世界大戦中も「フー・ファイター(幽霊爆撃機)」、あるいは「ゴースト・ロケット」「幽霊飛行船」として知られていたそうなんだよ。
もしこの時・・・、アーノルドが「まるでウ●コのようだった」と語っていたら・・・。か、考えるだけでもクソ恐ろしい!!
空飛ぶ円盤でなく空飛ぶ大便、 UFOならぬUNKOという事に・・・!
余計な事考えるなよッ!
ウンコウンコ連呼してお前ら小学生かよッ!?

【マンテル大尉事件】
トーマス・F・マンテル大尉▲
1948年1月7日午後1時15分頃、アメリカのケンタッキー州ゴッドマン空軍基地管制塔に同州のメイスビル付近の住民達から、円盤状の飛行物体の目撃報告が続々と寄せられた。
午後1時45分、飛行物体は基地上空にも出現し、基地の将校達も謎の円盤を目の当たりにする事となった。
ちょうどその頃、ジョージア州マリエッタ基地で訓練飛行を終え、帰路の途中だったトーマス・F・マンテル大尉率いるケンタッキー州空軍第165戦闘飛行中隊は、4機のP−51ムスタング戦闘機の編隊でゴッドマン基地付近を飛行していた。
基地司令官ガイ・F・ヒックス大佐は、マンテル大尉を無線で呼び出し、燃料に余裕があれば飛行物体を追跡し、正体を確認してほしいと頼んだそうだ。
この時、ヘンドリックス中尉が操る1機は燃料不足の為スタンフォード基地へ帰還した為、残りの3機のP−51が物体の追跡に向かった。
だが、飛行物体のあまりの速度と高度上昇により、酸素供給の準備が無かったクレメンツ中尉とハモンド少尉の2機は酸欠に陥り追跡を断念し、 マンテル大尉が単独で追跡を続行していたが、程なくして通信が途絶えてしまった。
そして約1時間後の午後4時15分、捜索隊によって基地から150キロ離れたフォート・ノックス近くの山中で、マンテル大尉の戦闘機は広範囲に散らばった残骸となって発見された。
操縦席にいた大尉の遺体の腕時計は、午後3時18分を指して止まっていたそうだ。
一方その頃、燃料補給と酸素タンクの装備を済ませたクレメンツ中尉は、改めて飛行物体に向かって出撃したが、 既に何処にも姿は無く、午後3時50分、ゴットマン基地も飛行物体を見失った。
ムァーントゥエーーール!!!
うるさいので静かにしてください。
大尉はどーしてお亡くなりに・・・?
通信が途絶えた後、一体彼に何が起こったんでしょう?
実はな、その時のマンテル大尉の通信記録を収めたカセットテープを極秘ルートで入手したんだよ。いいか、再生するぞ。(カチッ)
物体を追いかける戦闘機▲
2:45 物体は正面上方に見えます。更に上昇します。

3:05 物体は本機の正面上方に見え、本機のほぼ半分の速度、時速290キロで上昇中。金属性の物体のようです。
途方もない大きさです。本機は更に上昇します。

(編隊に酸素供給の用意が無かった為、後続の二機は追跡を断念)

3:15 高度4500メートルに達しました。
物体は依然正面上方にあり、本機とほぼ同じ速度で上昇中。
時速470キロ、本機は6000メートルまで上昇し、それでも物体を補足できなければ追跡を断念します。

(以後、通信は途絶える)

発見されたマンテル大尉の戦闘機の残骸▲
これが最後の通信であり、その後、マンテル大尉の戦闘機の黒焦げの残骸が山中から発見されたんだ。
このように、マンテル大尉と管制塔との交信した記録が残っているにもかかわらず、軍の公式の発表では、大尉は誤って金星を追いかけ、酸素マスクの付け忘れか、酸素系の故障による意識喪失が原因で墜落したものとされてしまったんだよ!
このような情報操作の裏に、当局は何らかの重大な事実を隠していると俺は思うんだよ!

スカイフック気球▲
この発表から1年後、調査により、金星と飛行物体の高度と方位が時間的に一致しない事が明らかになり、軍は金星誤認説を撤回した。
そして1956年、空軍のUFO調査機関プロジェクト・グラッジを指揮するルッペルト大尉からスカイフック気球誤認説が打ち出された。
さらに同年、基地関係者の口から本当の最後の通信の内容が明らかにされたのだ。
その内容は「一体どういう訳だ!中に人がいる!何人もだ!」という衝撃的なモノだった。
さらに数年後、元空軍情報部員が「大尉の死体は高熱にさらされてバーベキューのような状態だった」と証言したんだよ。

戦友と肩を並べるマンテル大尉▲
マンテル大尉は25歳という若さながら、第2次世界大戦でヨーロッパを転戦し、空軍の勲章の中では最高の空軍殊勲十字章を受けた歴戦の勇士であり、戦後は軍を引退して飛行学校を経営していたが、その腕を見込まれて州兵軍にも属し、時折後進の指導に当たっていたという。
基地からUFOを目撃した基地司令官のヒックス大佐はUFOの外観について、「雨傘のような形で、大きさは月の半分くらいで、白一色の表面に赤い色の帯が走り、その帯の部分は回転しているように見えた」と証言した。
大きさは150〜180メートル程度と推定されているが、真相は定かでは無い。
しかしながら、マンテル大尉は「UFO事件による最初の犠牲者」としてその名が記憶される事となり、 また、彼の死亡事故における米軍のずさんな対応もあってか、 「政府はUFOに関する隠蔽工作を行っている」という陰謀論が囁かれ出すきっかけになったとも言われている。
また、先述のドナルド・エドワード・キーホー(軍を除隊してからはパルプ雑誌にも記事を書く航空ライターであった)が、 著書で政府とUFOの陰謀論という構図を主張し続け、世間の関心を集めた事が現代までなお、尾を引いていると考えられている様だ。
まったく大尉の奴、無茶しやがって・・・。
2ちゃんAAみたいな敬礼はやめんかいッ!
これは深追いしてUFOのビームに撃墜されてしまったのか、それとも・・・。

【イースタン航空機事件】
炎を噴出する魚雷の様な物体が飛行機とニアミス▲
1948年7月24日、テキサス州ヒューストンを離陸し、目的地のジョージア州アトランタに向かっていたイースタン航空576便DC−3旅客機の 機長クレアランス・S・チャイルズと副操縦士ジョン・B・ウィッテッドは、午前2時45分(米国中央部標準時)、 アラバマ州モンゴメリー30km南西の上空高度1500mを時速1100kmで飛行中、 機体の右上方から高速接近してくる発光物体を目撃した。

両パイロットが当日に描いた目撃スケッチ▲
「上下に四角い窓が並んでいた」とする副操縦士と、「中央に縦筋が並んでいた」とする機長の絵に微妙な違いがある。
先に気づいたチャイルズは最初、物体を陸軍の新型ジェット機の試験飛行か何かだと思い、 ウィッテッドの腕を叩き、物体の存在を知らせた。
だが、すぐにその認識が誤っていた事に気づく。
物体が信じられないほどの猛スピードでDC−3旅客機に衝突するコースを取ってきたからだ。
この物体に翼は無く、魚雷の様な円筒形の形状をしていたそうだ。
また、B-29爆撃機の倍の大きさはあろう推定約30mの胴体には、四角く大きい窓が計6つ二列で並び、 底部は暗い青色に輝き、後部からはオレンジの炎を約15m噴出していたという。
チャイルズとウィッテッドがあっけに取られて見ていると、 物体は僅かに方向を変え、旅客機スレスレを通り過ぎて急上昇し、すぐに雲の中に消えていったらしく、 これは時間にして僅か10秒程度の出来事だったそうだ。
また、チャイルズによると、物体の内部にはレーダーの様な棒のついた操縦席があり、後部からノズル状のものが突き出ていたとの事で、 物体が通過する際に音や気流による機体の揺れは全く感じなかったという。

機長チャイルズと副操縦士ウィッテッド▲
2人の名から「チャイルズ・ウィッテッド事件」とも呼ばれる。
事件後、空軍の航空宇宙技術情報センター(ATIC)は直ちに調査を開始した。
その結果、当時付近にはイースタン機以外の航空機の飛行は無かった事が分かり、 更に、地上で隕石を観測していた人々によって、異常に明るい隕石がアラバマ州を中心とする米国東南部で見られたという、 目撃報告が確認された。
これを受けて、ATICは当初、この半年前に起こったマンテル大尉事件の存在と、 機長チャイルズの「物体が知的なコントロール下にあった」という主張を重視し、 「イースタン機が遭遇した物体はUFOである」という見解を強めた。

事件を報道する当時の新聞▲
「こう、右からキーンときて」「ちげーよ、ギューンとだよ」みたいな身振り手振りの説明ぶりが素敵。
しかし翌1949年、ATICのコンサルタントを務めていた天文学者ジョセフ・アレン・ハイネック博士は、 この物体は隕石であると断定した。
確かに、チャイルズとウィッテッドが目撃した6月中旬は、ちょうど隕石群が活発化する時期で、 当日にもアメリカ各地で天文マニアが夜空を観測していたが、 事件の1時間前から数分前にも異常に明るい隕石が目撃されている。
この事実を踏まえると、チャイルズとウィッテッドが遭遇した物体は、 たまたまDC−3旅客機の至近距離で落下してきた隕石の誤認であった可能性が高く、 空軍も事件から10年後の1959年、公式に物体が隕石であったと発表した。
だが、本当にそうだろうか・・・?
一見もっともらしく思えるこの隕石説も、 たまたま隕石群が活発化していた時期であったという状況証拠によるものに過ぎず、 決定的な説得力には欠けている。
ベテランパイロットの直感を無視し、隕石説で説明しようとするあまり、 強引に事実を捻じ曲げている様にすら俺には思えるんだよ・・・!
どう見ても精子です、本当にありがとうございました。
全然ちげえよ!どんだけ心が汚れてたらそう見えるんですか・・・。
目撃スケッチのヘタさ具合もさる事ながら、 目撃者2人の楽しげなポーズが何かグッときますね。

【ゴーマン少尉機空中戦事件】
「犯人はお前だ!」と言いそうな人の横で立っているのがジョージ・F・ゴーマン少尉▲
1948年10月1日、ノースダコタ州空軍のジョージ・F・ゴーマン少尉(当時25歳)が、小型UFOと空中で20分に渡りドッグファイトを繰り広げるという衝撃的な事件が発生した。
午後9時、同僚機とともにP-51戦闘機の訓練飛行に出かけていたゴーマンは、単独でノースダコタ州にあるファーゴ基地に帰投中、 管制塔に着陸許可を求めようとしたところ、機の下方、高度300メートル付近に浮かび点滅を繰り返す奇妙な光に気づいた。
管制塔からは小型ハイパー機が南から接近しているので、 その光ではないかとの連絡を受けたゴーマンは確認の為、さらに5分程旋回を続けた。
だが、やはり約300メートルの高度に先程の光があり、 ゴーマンによる再度の確認要請を受けた副管制官が上空を見上げると、 確かにハイパー機の少し上方に白い光がはっきりと見えたという。
その光体は北西に向かって高速で移動しており、 しばらく観察していたゴーマンは管制塔に連絡すると追跡を開始した。
光体は時速400キロで移動しており、ゴーマンが近づくと左に旋回、 彼が追いすがると急旋回しながら上昇し、それはゴーマンが一瞬、失神するほどの猛スピードだったという。
高度1500から2100メートルに移動した光体はさらに速度を増し、 P51ではついていくのが困難と判断したゴーマンは、光体を先回りする事にした。
光体が左旋回した時、ゴーマンは最大速度で右方向から迎撃コースを取り、 あわや衝突するかと思った瞬間、物体は彼の機上、約150メートルのところを飛び越していった。
すれ違う瞬間に見た物体は、直径約20センチで平たく、白く輝いていたらしく、 「満月の4分の1くらいの明るさだった」と後にゴーマンは述べている。

空中戦の様子を描いた絵▲
光体に続いてゴーマンが上昇すると、 今度は逆に彼の方に向かって光体が突進してきたそうなんだよ。
光体はもはや点滅をやめて白く輝いているのみで、 ゴーマンが衝突すると思った瞬間、再び急上昇した。
この時、既に息切れしかけているP-51の高度は約4300メートル、光体はそこからさらに600メートル程上に浮かんでおり、 ゴーマンが一呼吸置いて戦闘を再開すると、物体は一旦後退してから再び襲い掛かってきた。
こうして空中戦を繰り返しているうちに、いつの間にかゴーマンと光体はファーゴの南東40キロの地点に達していた。
そして午後9時27分、今度はP-51の下方、約3300メートルの高度にいた光体は、 急上昇すると途中で向きを変え、そのまま空の彼方へ姿を消し、 20分を越す空中戦はようやく終わった。

ゴーマンが操ったP-51戦闘機▲
当時、相次ぐUFO事件に神経を尖らせていたATICは、 事件後24時間以内に調査を開始した。
だが、事件時には付近に他の航空機は存在せず、 北東部に微弱なオーロラ活動が観測されただけであった。
また、ゴーマンのP-51からは僚機よりも高い放射能が検出されたが、 これは長い時間上空にいた結果でしかないとされた。
当のゴーマン自身の証言もかなり混乱していて正確な状況がつかめず、 そのうち彼が見たものは、ファーゴの気象台が事件の10分程前に飛ばし、 事件時ちょうど基地の上空にいた事が確認された気球ではないかという事になった。
確かに、風に揺れる気球はチラチラ点滅しているかの様に光って見えるし、 大きさもゴーマンや管制塔からの目撃証言と一致しており、 結果的に公式記録でもゴーマンが追った光体の正体は気球という事にされた。
しかし、高度数千メートルもの上空で、空中戦の際の急激な動きを説明するには、 この説では無理がある。
1980年代に入ると、ゴーマンの見た光体は最初のうちは気球であったが、 彼が急上昇して一時的に失神した後に目撃したのは、実は木星だったという説が出てきた。
と言うのも、大気は温度の加減によって、ちょうどレンズの様な役割を果たし、 木星をフットボールくらいの大きさに見せる事もあるらしく、 実際、事件時のラジオゾンデの観測記録によれば、 大気温度の逆転層が認められ、同現象が発生するのにうってつけの気象状況だったという。
つまり、マンテル大尉事件やイースタン航空機事件などで動揺していた ゴーマンが、精神錯乱状態に陥って木星と空中戦を演じていたのではないかという訳だ。
確かに論理的な説明ではあるが、これもまた、曖昧な断片的情報を 都合よく解釈して繋ぎ合わせているに過ぎない。

なお、これら1948年に起こった3つのケース(「マンテル大尉事件」「イースタン航空機事件」「ゴーマン少尉機空中戦事件」)は、後に「3大クラシックス」と呼ばれるようになった。
なるほど、己の飛行技術を過信した 傲慢さが事件を招いたという事じゃな。ゴーマンだけに・・・!
え?
え?

【ロサンゼルスUFO空襲事件】
当時撮影されたサーチライトに照らされた未確認飛行物体▲
(周囲の点々は高射砲による閃光)
『ロサンゼルス・タイム』紙の1942年2月26日号に掲載されたもの。
同事件は「ロサンゼルスの戦い」とも呼ばれる。
空襲を誤認されたと思われる日本軍の零式小型水上偵察機▲
ケネス・アーノルドが目撃する以前にも、全米を震撼させたUFO事件があるんだよ。
1942年2月25日午前2時15分、太平洋の方角から飛来する丸く輝く飛行物体の一群を対空監視員が発見した。
この情報はただちに各方面に伝えられ、対空砲火の体制が整えられるとともに陸軍航空隊の迎撃機がスクランブル態勢に入った。
10分後、カリフォルニア州ロサンゼルス一帯に空襲警報が発令され、灯火管制が敷かれた。
この警報は、前年12月7日に起こった日本海軍の真珠湾奇襲から2ヶ月後の事だった為、当初、 叩き起こされた何十万というロサンゼルス市民の多くは防空演習だと考えたそうだ。
しかし、この事態が演習などではない事を示す証拠として、 カルヴァー・シティーの上空で静止した飛行物体を幾筋ものサーチライトが補足し、 夜空に照らし出された。
その後、飛来数は「25機」(15機とも)と報告され、 さらに午前3時過ぎにサンタモニカ上空で日本軍機と思しき、 時速約320キロで移動する赤く光る飛行物体が陸軍兵士と多くの市民にも目撃された為、 午前3時16分、陸軍第37沿岸防備砲兵旅団が高射砲による対空砲火を開始した。
だが、午前4時14分までの58分間に1430発もの砲弾を撃ち込み、 陸軍航空隊のカーチスP-40戦闘機などが迎撃を行ったにもかかわらず、1機の飛行物体も撃墜する事は出来なかったのだ。

対空榴散弾で穴を開けられたMrs.ヒュー・ランディスの枕▲
「なんて日ざます!」という感じだ。
ロサンゼルス市内も突然の「日本軍機襲来」に大きな混乱に陥り、 対空砲火の砲弾の破片が家々に降り注いで屋根をぶち抜き、その影響で3人が死亡、 またパニックによる心臓麻痺で3人が死亡し、 計6人の市民が犠牲になった。
また、騒動の様子は、CBSなど全国ネットのラジオ局で中継され、サーチライトに照らされた飛行物体の写真も多数撮影された。
さらに多くの市民によって「何処からともなく現れた小型の物体が空をジグザグに飛び回って、突然姿を消した」、「30機から40機の飛行物体が高速で飛び回っていた」などの目撃情報も報告された。
それらの物体は全て無傷のまま、やがて75キロというゆっくりとした速度でサンタモニカへと進み、 さらに南のロングビーチへと向かったところで見えなくなり、レーダーからも姿を消した。
砲撃は中止されたが、サーチライトによる警戒はその後も数時間続き、空襲警報が解除されたのは、午前7時23分の事だった。



当時の混乱の様子を伝えるCBS放送▲
未確認飛行物体が現れたロサンゼルスを中心としたアメリカ西海岸の位置関係▲
当初、この様な市民をも巻き込んだ混乱が生じたにもかかわらず、 陸軍西部管区司令部は、「戦闘機の来襲は確認できなかった」と発表し、フランク・ノックス海軍長官も「新聞記事は戦時下における神経過敏が招いた誤報であり、航空機の目撃は無かった」と述べた。
しかし翌26日には、 陸軍当局のヘンリー・スティムソン陸軍長官が会見にのぞみ、「ロサンゼルスの太平洋海岸線上空に対空監視員が未確認飛行物体を発見、 1時間に渡り15機が市内上空の高度2700メートル〜5500メートルで上昇下降を行いながら移動し、 すぐに第四次防空司令部の命令で午前2時23分にロサンゼルス近郊の各所に灯火官制が敷かれ、 サーチライトの照射、高射砲による攻撃が行われたが補足には失敗した」という発表がなされ、 海軍と陸軍の意見が対立するという状況が見られた。

そして第2次世界大戦後、米軍が日本軍の資料を徹底的に調査した結果、 当時、日本海軍の航空部隊がロサンゼルスの海岸付近を飛行したという記録は一切存在せず、 また、同地域で活動していた日本海軍の潜水艦は10隻程度で、 その艦載機を全部集めても報告された25機や15機に満たなかった事が判明したという。
つまり、なんとなく宇宙人が日本軍の味方をしたって事でOK?
宇宙人かどうかはともかく、実態が不明ながらパニックを引き起こしたという意味では「火星人襲来事件」に近いノリを感じますね。
でも味方同士なのに意見が対立しちゃうなんて、陸軍と海軍は仲悪かったんでしょうか?
UFOの迎撃でドンパチやった陸軍としては、 「実は誤報でしたサーセン」とあっさり空騒ぎを認める事は出来ないでしょうからね。
ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀長は、フランクリン・D・ルーズベルト大統領に対し、2月26日付けで自らの見解を述べた次のような文書を送っている。

マーシャル陸軍参謀長が大統領に宛てて報告した機密メモ▲
以下は昨日午前、ロサンゼルスに発せられた空襲警報について、現時点で総司令部から入手している情報であります。

1. 米国陸軍または海軍のものではない複数の未確認の航空機は、 恐らくロサンゼルス上空を飛行したものとみられ、第37沿岸砲兵旅団(対空砲兵中隊)の複数の小隊が、 午前3時16分から4時14分までの間砲撃した。各部隊は1430発の弾薬を消費した。
2. 15機に及ぶ未確認の航空機がいたらしく、 公式の報告によれば「非常に遅い速度から時速200マイル(約320km)に至る様々な速度で、9000〜18000フィート(約2700m〜5500m)の高度で飛行した。
3. 投下された爆弾は無し。
4. 我が軍の戦闘犠牲者は無し。
5. 撃墜された航空機は1機も無し。
6. 米国陸海軍の航空機の飛行は無かった。

調査は依然続行中。敵の工作員が不安を煽る事で、 ロサンゼルス市内の対空砲の位置を暴き、 灯火管制によって生産性を低める目的で飛ばしたとするのが妥当であると考えられます。


この文書は長い間、国防総省により存在が否定されていたが、1966年に制定された情報自由法によって明るみに出たものである。

事件後、マスコミはアメリカ政府と軍に対し事件の明白な説明を要求すると同時に、激しく糾弾した。
と言うのも、前年12月7日の真珠湾攻撃後、アメリカ西海岸沿岸は、日本軍の上陸は避けられないという恐怖に脅かされていた為、 軍のみならず警察や市民による沿岸警備も行うなど、厳戒態勢が敷かれていた。
にもかかわらず、事件の36時間前、2月24日未明に日本海軍艦艇によりカリフォルニア州サンタバーバラ北西のエルウッド石油製油所に対する砲撃が行われたんだよ。
その為、カリフォルニア州住民の不安は極度に高まっていたが、 その後は日本海軍艦艇による再攻撃の兆候が見られなかった事から、 24日の午後10時22分には、アメリカ西海岸一帯に出されていた警戒態勢は解かれていた。

日本軍の風船爆弾▲
未確認飛行物体の正体として、 「日本軍が飛ばした爆弾付きの気球ではないか」という報道もなされたが、当時はまだ風船爆弾は実用化されていなかった。
しかし、事件当日にサンタモニカで陸軍第205防空部隊が気象観測気球を上げていた事が判明し、 各戦線で日本軍に敗北を続けている状況で、軍としても特に大きな被害が無かったこの事件の分析をいつまでも 行っている余裕が無かった事もあり、 最終的には「日本海軍の潜水艦によるサンタバーバラの砲撃と、その後の警戒態勢を受けて過敏になっていた陸軍部隊が、 気象観測気球を日本軍機と見間違えて攻撃した事が事件の発端」と結論付けられたんだよ。
もっとも、陸軍のレーダー上でサンタモニカより遥かに離れた地点でも飛行物体が観察された上に、 数千人規模の人々が目撃している事から、未だにこの結論を疑問視する声は後を絶たない。

なお、事件が起きた1942年は、先述の通りアメリカにおいて、 UFOの概念は認識されておらず、事件当時には「UFO襲来」という見解が人々やマスコミから挙がる事は無かった。
その代わりに、このUFO事件は「日系アメリカ人は強制収容所送りにすべき」という隔離政策を主張する一部マスコミを助長する事となり、民族的な感情の対立に拍車をかけた典型的なケースだったと言えるだろう。
いくらなんでも盛大に見間違え杉だろアメ公どもよ。
アメリカ人は良くも悪くも大雑把って言われますもんねえ。
さすがに国民性の所為だけでは無いと思いますが・・・。
何にせよ、真相は依然として闇の中といったところでしょうかね。

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チリで奇妙な飛行物体が撮影される
ソウル上空にUFO数十機が出現
オハイオで三角形のUFOが撮影される
謎の糸状クネクネ飛行物体が撮影される
米国は既に反重力装置を完成させている?
フェニックスで撮影されたUFOは捏造か?

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