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[2012.03.02]

バネ足ジャック
~婦女子を襲う跳躍怪人~



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【恐怖の出現】


バネ足ジャック(Spring Heeled Jack)▲
「ジャンピング・ジャック」「スプリンガルド」とも呼ばれる。

バネ足ジャック(Spring Heeled Jack)▲
「ジャンピング・ジャック」「スプリンガルド」とも呼ばれる。
バネ足ジャック(Spring Heeled Jack)は、切り裂きジャックの数十年前に出現した、史実の事件が元になって生まれたヴィクトリア朝時代のロンドンの都市伝説的な存在です。
彼が最初に姿を現したのは1837年10月11日の夕方。
ロンドン南東部のブラックヒース地区中心部に位置する小高い丘陵にあるホテル「グリーンマン・イン」のウェイトレスをしていたポリー・アダムズ(17)という娘が、同ホテルのオーナーの息子であるトム・エヴァンス(18)と秋の収穫祭に一緒に出かける約束で、シューターズ・ヒル・ロードという雑木林が続く人気の無い寂しい山道を、待ち合わせ場所の街へ向かって下っていた。
ちょうど、ホワイトフィールド・マウントと呼ばれる奇形な大岩の脇を通り過ぎ様としたその時、ポリーの行く手を阻むかの様に、黒い影が突如として岩の背後から道の中央に飛び出してきた。
マントをひるがえしたその人影は、人間業とは思えない跳躍でポリーに迫ってきた為、彼女は恐怖のあまり悲鳴も出せず、足も動かずその場で立ちすくんだ。
そして、そいつが近づいてくると、ポリーは更に仰天した。
それもそのはず、バサバサと音を立てるマントの主は、悪魔の様な赤黒い異形の顔で、真っ赤に燃える様な眼は瞬きもせず、鼻は高く尖り、口からは青い炎を吐いていたんですね。

目の前に立ったそいつはすぐには手を出さず、ポリーの事を凝視し、強い硫黄の臭いを放つ炎を吐き出す度に、彼女の顔を熱したそうです。
やがて、その怪人が両手を上げると、長い爪状の手でショールが吹っ飛び剥き出しになっていたポリーの肩を掴むと、血が滲み出る程に爪先が食い込んできたので、彼女はようやく悲鳴をあげた。
怪人はポリーに顔を近づけ、口から吐き出される青い炎は彼女の鼻先を焼き、まつ毛を焦がし、強い硫黄の臭いが吐き気を催させ、彼女が後ろに倒れかかると、やっと肌に刺さった爪が外れた。
すると怪人は奇妙な甲高い大声で笑い、ポリーの青いドレスをわし掴むと、下着ごと引きちぎったので、上半身が裸になってしまったんですよ、いやいや~。
そのうえ、事もあろうに怪人は、痛みと恥ずかしさのあまり道端にうずくまったポリーの豊かな乳房をむんずと掴んだ。
彼女は絶叫し、必死でそいつに抵抗すると、驚いたのか、怪人は手を離して後ずさり、腰に手を当ててまた笑うと、一瞬でマントをひるがえして飛び上がったかと思うと、雑木林の暗闇に消えていった。
ポリーはそのまま倒れて気を失い、やがて祭り見物に来た通行人によって発見され、すぐに病院に運ばれたが、肩の爪痕や擦り傷以外は何ともなく、彼女の語った怪人との遭遇話は、たちまち周囲に広まり、新聞にも報じられ話題になったそうなんですね。

しかし、この時点ではまだ「バネ足ジャック」等とは呼ばれず、一般には当時の郊外でよくあるレイプ未遂事件か、祭りに来た若者の悪戯ではないかとして、ポリーの供述も話半分の出来事と受け取られていたんだなあ。
ところがね、この事件を機に、ロンドン郊外の各所で、よく似た怪人に襲われたという若い娘の被害届けが出てきたそうなんだ。
不思議とレイプされたり金品を奪われたりはしなかったそうです。
その為、手の込んだ仮装をした不良少年の悪戯か、葉巻を吸う黒人(当時の田舎では珍しかった)がからかったのではないか、とも言われていたみたいですね。

うわー、変態だー!

もうこれ「バネ足」とかそんな次元のレベルじゃねーじゃんかヨ。

出オチ・オーラがもの凄くてツッコミきれないですね・・・。


【ジャンピン・ジャック・フラッシュ】


逃走するバネ足ジャックを描いた絵画▲

逃走するバネ足ジャックを描いた絵画▲
翌1838年、ロンドン市長ジョン・カウアン卿は、聴聞会や懇談会にて、市民からの手紙で、光る眼に鉄の様な爪を持つ幽霊や悪魔の如き者に若い娘が襲われている事件が頻発しているとの噂を知り、関係方面に警告を発し、有名新聞紙に大見出しが並んだ。
しかし、治安は回復するどころか、むしろ、連日のマスコミの報道がこの種の悪戯に輪をかけ、便乗した強盗や殺人犯が逮捕されたりしたそうなんだ。
また、マスコミは、それまで各地で起こった様々な同種の事件を掘り起こしたところ、ポリー・アダムズが遭遇した事件以前にも怪人が現れていた事が分かったそうなんですね。

例えば、1837年9月末、ロンドン郊外のミドルセックスのバーンズ・コモンという、自殺の名所であり、夜になると人通りも少なく、追い剥ぎが現れたりする治安の悪い草原に、たまたま訪れたセールスマンと付近に住む3人の女性が、二晩続けて怪人に遭遇している。
セールスマンは、バーンズのお得意先で仕事に手間取り、パトニーの自宅に帰るのが遅くなった。
そこで、近道としてコモンの墓地を横切って帰宅しようとしたところ、突然、墓地を囲む柵を飛び越えて、マントをなびかせた悪魔の様な怪人が行く手に現れた。
驚いたセールスマンは、一目散に町の方に逃げたそうで、幸い怪人は追いかけてこなかった。

翌晩には、3人の娘が各々帰宅途中に怪人と遭遇しており、最初の娘は前夜のセールスマンと同じく、墓地の側で柵を越えてきた同じ容姿の怪人に襲われ、鋭い爪でコートを切り裂かれたが、必死になって抵抗しているところに人が通りかかり、怪人は跳び上がり、夜空に消えていったそうです。
2人目の娘は、その後に通りかかり、怪人に炎の様な眼で睨まれたそうなんですがね、彼女は慌てて逃げたので何事もなかった。
3人目の娘も同じ場所で怪人に遭遇し、彼女は捕まって衣服を裂かれ、ほとんど裸にされて意識を失い、道端に倒れているところをパトロール中の巡査に発見されたそうです。

10月初旬には、クラパムのカット・スロット・レーン(喉切り小路)にて、レヴァンダー・ヒルの豪邸に勤めるメイドのメアリ・スティヴンスが、夕方の帰宅を急いでいたところ、途中で雨が降り出したので、傘をさそうとすると、不意に暗闇の中から木戸を飛び越えて黒い影が飛び出してきた。
彼女は二の腕を掴まれ、次いで、乳房を握られ、悲鳴をあげた。
すると怪人は甲高い笑い声をあげたが、メアリの悲鳴を聞き、付近のファルコン・ホテルから宿泊客が飛び出してくると、怪人は彼女の手を離し、跳び上がると闇に消えたそうです。

また、レヴァンダー・ヒルに近いストレタム・ハイ・ロードでは、夕方にロンドン帰りのお屋敷の空馬車が石垣に衝突し、馬車は大破、乗っていた者は放り出されて傷を負うという事もあった。
彼らの証言によれば、獣か人間か分からない黒い影が突然馬車の前に飛び出してきたので、馬が仰天して暴れだしたってな事だったらしいんですよ。
その影は道路を跳ね回り、高い石塀を飛び越えて消えたそうです。


マントの広げ方がもう猥褻なバネ足ジャック▲

マントの広げ方がもう猥褻なバネ足ジャック▲
こうした事件の記事が連日の様にロンドンの新聞各紙に報道され、それらの目撃談を統合すると、怪人は前述のとおり悪魔の様な顔に、燃える様な瞳を持ち、ぴっちりした光沢スーツを着て黒いマントをひるがえし、頭部にはヘルメットの様なものを被り、角を生やしている。
また、口からは硫黄くさい青い炎を吐きかけ、鋭い爪で遭遇した者の顔を引っかき、着衣を破り、抵抗されたり追いかけられたりすると、履いている黒いブーツにまるでバネでも取り付けられているかの様に、高く跳び上がって去っていくという事で、1838年1月末には既に「バネ足ジャック」という名称で報じられている。(“ジャック”はよくある男性名で、日本で言うところの“太郎”みたいなもの)

クッソ、この出来損ないのバットマン野郎・・・。
やりたい放題やりやがって、なんて羨ま・・・いや、恨めしい。

まったくです。
おっぱい・・・いや、いっぱい女性を苦しませやがって実にけしからんですな。

私も夕方の下校中とか気をつけなきゃ~。

案ずるな、貧乳はスルーされるだろうから心配無いじゃろ。

んな゛ッ!?

私は最近むしろ小さい方が・・・あ、いえ何でもないです。


人々を翻弄するバネ足ジャック▲

人々を翻弄するバネ足ジャック▲
その後もバネ足ジャックの出現は続き、ダリッジの横丁では2人の女性が襲われ、1人は逃げたがもう1人は捕まって衣服を裂かれ、フォレスト・ヒルでは、晩餐帰りの夫婦が襲われ、夫は顔を殴られて一時的に視力を失った。
カンバーウエルでは、まだ明るいうちに若い娘が鉄の爪で首筋を掴まれ、逃げると甲高い笑い声が背後から響き渡ったそうです。
しかし、被害者は皆、引っ掻き傷くらいで暴行は受けておらず、金品の強奪も無く、被害者届けが出るととりあえずは捜査に乗り出すが犯人は一向に捕まらず、当時のロンドンには他にも殺人や強盗などの犯罪事件が多発していた為、いつまでもバネ足ジャックなどに構っていられなかった。
それがまた、彼の悪戯行為に拍車をかける事を許したと言えるんですがね。


一線を越えてとうとう完全に痴漢にしか見えないバネ足ジャック▲

一線を越えてとうとう完全に痴漢にしか見えないバネ足ジャック▲
ロンドン東部のライムハウスにあるスケイルズ家は、ルーシーとマーガレットの美人姉妹がおり、彼女らはチャーリング・クロスの親戚を訪問して帰りが遅くなり、すっかり日が暮れた道を歩いていたんですね。
そして、自宅への最も近道であるグリーン・ドラゴン横丁という、ガス灯がひとつしかない薄暗い道に思い切って入ると、通りの中ほどに黒い影が動いた。
後ろから石蹴り遊びをしながらついてくる妹のマーガレットに先行して、ルーシーが近づいてみると、その黒い影は最初のうちはうずくまっていたかと思いきや、急に彼女に飛び掛ってきたんだ。
よく見ると、それは黒いマントを着た長身の男で手にカンテラを持ち、一跳びで姉妹の前に来ると、口から青い炎を吐いた。
ルーシーが悲鳴をあげると、マーガレットが駆けつけ、怪人は跳び上がり闇に消えたそうです。
翌朝、ルーシーは昨日の出来事のショックからだいぶ回復し、バネ足ジャックに遭遇した事を家族に語った為、その噂はたちまちライムハウス中に広まった。


女を求めて闇夜に暗躍するバネ足ジャック・ライジング▲

女を求めて闇夜に暗躍するバネ足ジャック・ライジング▲
その2日後には、東ロンドンのベアバインド・レーンに出現したそうです。
オルソップ家では、主人のジェイムズと妻、3人の娘が遅い夕食をしていたところ、急に玄関のベルが何度も鳴った。
今頃誰だろうと不審に思いながら、娘のジェーンが出てみるも、外には誰もいない。
悪戯かと思い、ドアを閉めようとした時、暗闇の中から、突然黒いマントにトップハットの男が現れた。
どうやらその男は乗馬パトロールを行っていた巡査の様で、「明かりを持ってきてくれませんか?この小路でバネ足ジャックを捕まえたんだ!」と叫んだそうなんだ。
ジェーンは驚き、急いで家の中に入り、廊下の蝋燭を取るとカンテラに入れて男に手渡した。
ところが、彼女はすぐにそれが間違いであった事に気づいた。
何故なら、蝋燭の明かりに照らし出された男のその顔こそ、悪魔の様な形相のバネ足ジャックのものだったんですねえ。
例の如く彼女は衣服を引き裂かれ、悲鳴を聞いて家族が出てきた時には、怪人は姿を消していた。
この10日後には、同様の手口で、近くのターナー・ストリートのアシュワース宅を訪れているが、この時は応対に現れたのが屈強な男だったので、おとなしく姿を消したそうです。
その際、その男はバネ足ジャックを追いかけたそうなんですがね、素早く飛び跳ねた為、暗闇の中に見失ってしまったものの、ジャックのマントの内側に、金糸で「W」ってなアルファベッドの縫い取りがされていたのを目撃したそうなんですよ、ええ。

こんな性犯罪者の画像ばっか載せてサイトの人気落ちたらどーすんだよボケえ・・・。

若い娘の服を脱がす事に命をかけるエロリストですからね・・・。

か弱い全ての女性達の敵ですね・・・。


【エスカレートする犯行】


銃弾を受けても何のそのなバネ足ジャック▲

銃弾を受けても何のそのなバネ足ジャック▲
バネ足ジャックの都市伝説は、ロンドンから東部と南部地方に広まり、40年代には全国的な存在になった。
イースト・エングリアの海岸道路を通行中の郵便馬車の前に現れた際には、局員らが携帯していた銃で発砲したそうなんですがね、全く平気な様子であったそうで、よりいっそう化け物という印象を強くさせたんですね。
そして、ついにバネ足ジャックによる殺人事件が発生した。
1845年11月12日の夜、テムズ河の南、バーモンジーのジェイコブズ・アイランドという、スラム街の汚い小路にて、いつもの様にバネ足ジャックは包食や娼婦の前に現れ、驚かせていたそうです。
でもって、彼がフォリー・ディッチ橋の上で一服していると、そのたもとにマリア・ディヴィスという13歳の娼婦がボロにくるまれて寝込んでいた。
ジャックは彼女の寝顔を覗き込み、肩を掴んで火を吹き込んだ。
すると、ボロに火が付き慌てて立ち上がった幼い娼婦を、ジャックは抱き上げると、いきなりドブ皮に投げ込んだ。
そして、川を飛び越えると、高笑いを残して去っていった。
可哀想な少女は汚濁の泥に埋まり、助けを呼ぶにも、深夜という事で、誰も応じてくれる者はなく、後に報告を受けた警察によって、ドブ川の中から少女の遺体が発見されたそうです。


ペニー・ドレッドフルというパルプ誌に連載された「ロンドンの恐怖、バネ足ジャック」▲

ペニー・ドレッドフルというパルプ誌に連載された「ロンドンの恐怖、バネ足ジャック」▲
1855年には、ハートフォードの小路で美少女の死体が発見された。
足には火傷の跡、肩と胸には掻き傷があり、バネ足ジャックの仕業ではないかと噂された。
1863年には、ランベスで1人暮らしの老女が、自宅の2階で急死しているのが見つかり、外傷も無く、毒も検出されなかったらしく、1階のドアと窓は全て閉まっていて、2階の窓だけが開いていたので、バネ足ジャックが2階に飛び込んだ為、ショック死したのではないかと考えられたそうです。
いずれも、不可解な事件はバネ足ジャックと結び付けられる様になっていたって訳なんですね。

ただのヒマな基地害かと思いきや、ほんとに化け物だったんかい・・・。

確かに、いよいよゴキブリチックでタチが悪いですね・・・。

他人に対する二人称で「ヒューマン」とか言いそうな勢いですね・・・。


マトリックス・・・ではなく、1877年にリンカーンシャー・ケイスターの兵舎に現れた バネ足ジャック▲
9月8日付の『イラストレーテッド・ポリス・ニューズ』紙で「オルダーショットの幽霊」として記事が掲載された。

マトリックス・・・ではなく、1877年にリンカーンシャー・ケイスターの兵舎に現れた バネ足ジャック▲
9月8日付の『イラストレーテッド・ポリス・ニューズ』紙で「オルダーショットの幽霊」として記事が掲載された。
1877年には、イングランド東部リンカーンシャー・ケイスターの町に出没したというのが地元新聞で報じられたんですね。
同年8月5日の美しい月夜の晩、ジョン・リーガン兵卒はオルダーショットの北兵営で火薬庫の門を守衛していたところ、何か重い物を引きずる様な耳障りな物音に気づいた。
彼はライフル銃を持って詰め所を飛び出したものの、前を横切る道路には何も見当たらない。
気のせいかと思って詰め所に引き返そうとすると、首筋に氷の様な冷たい手が触れたんですよ。
驚いて悲鳴を上げたリーガンに気づいた別の兵卒が駆けつけてきたんですがね、 そこには巨大な幽霊の様な存在が彼らの頭上を飛び越えて、音も無く道路に着地したんですね。
2人が振り向くと、そこにはオイルスキンの様な衣服をまとい、輝くヘルメットをつけた幽霊が邪悪な笑みを浮かべていたそうです。
兵卒は銃を拾ってそいつに怒鳴ると、幽霊は再び跳び上がった。
すると驚いて兵卒が銃を発砲したが、弾丸は身体をすり抜けてしまった。


当時のオルダーショットの様子▲

当時のオルダーショットの様子▲
そして幽霊は飛び跳ねながら、2人の顔に青い炎を吹きかけて、詰め所の屋根に飛び乗ると、高笑いをして姿を消したそうです。
2人の兵卒は最初上司に嘲笑された上に歩哨を解任され、重労働に回されてしまったそうです。
この事件を新聞はバネ足ジャックの仕業じゃないかと報じたそうで、騒動は首都ロンドンから次第に地方へと拡散していったってな訳なんですね。

馬鹿の一つ覚えみたいにビヨンビヨンしやがって・・・。

完全に荒ぶる鷹のポーズじゃないですか・・・。

随分と生きのいい幽霊がいたもんですね・・・。


【最有力容疑者】


ウォーターフォード侯爵ヘンリー・デ・ラ・ボア・ベレスフォード▲

ウォーターフォード侯爵ヘンリー・デ・ラ・ボア・ベレスフォード▲
バネ足ジャックの正体は、当時、まだ珍獣として見た者が少なかったカンガルーが犯人ではないかとも言われたみたいですね。
イギリスの流刑植民地だったオーストラリアから連れてこられたカンガルーが、脱走して各地に出没しているというものです。
また、1855年2月8日に、デヴォンシャー州の雪の積もった平原に現れた悪魔の足跡(詳細は後述)の主は、このバネ足ジャックだったのではないかとも考えられているそうなんですよ。
(もっとも、この事件についても犯人にカンガルー説があがっている)
しかし、彼の正体として最も有力であると考えられているのは、アイルランド貴族、ウォーターフォード侯爵ヘンリー・デ・ラ・ボア・ベレスフォードです。
彼は1811年生まれで、バネ足ジャック初登場の1837年には26歳で独身。
父親のジョン・ベレスフォード公はアイルランドとイングランドに広大な領地を持つ富裕貴族で、一人っ子だったヘンリーは何不自由なく育てられたので、ワガママで自制心の無い悪戯っ子に育った。
黒髪のハンサムで、ロンドンの別邸で暮らしていたヘンリーは、眼が大きく飛び出しており、あだ名が「出目金(ポップ・アイ)」だったそうですがね、友人達は陰ではそう呼んでも、面と向かって口にする者はいなかった。
何故なら彼は大柄で、喧嘩早い乱暴者だったからそうでしてね、ウインザーのイートン校での中学時代には、悪童仲間と校舎の屋上から、下を通りかかる先生達に小便をかけて捕まり、懲罰にかけられた事もあり、オックスフォード大学時代には集団で闇討ちに遭い、殴られて負けた悔しさから、首謀者の家を叩き壊した事もあったそうなんですよ。
その腕っ節はスポーツでも発揮され、オックスフォードの8人乗り競漕ボート(カレッジ・エイト)のベスト漕手に選ばれているし、金にものを言わせるギャンブラーであり、美男子なので女性にもモテた。
友人達との悪所通いの常連で、喧嘩は日常茶飯事、天下に怖いものなしの放蕩貴族として悪名高く、その度に警察沙汰になっていた。
こんな具合ですからね、バネ足ジャックの正体が放蕩貴族ではないかってな噂が出た時には、警察もまず彼に目を付けたって訳なんですよ。

友人の社会史家ラルフ・ネヴィルは後年、若かりし頃の彼の所業を著書『冒険の時代と流儀』でこう記している。
「若きヘンリーは賭博場と娼家の常連で、いつも酒を飲んではならず者や娼婦と野卑な冗談を飛ばしていた。自分の領地の通行税取リ立て門を真っ赤に塗ったり、馬の蹄に強烈な香りのするアニスの実を付けたり、教会に巨大なブラッドハウンド猟犬を連れていき、牧師にけしかけて脅かしたり、旅館で客のベッドにロバを寝かせて毛布をかけ、休もうとした客を驚かせ喜んでいた。賭博場で大負けした時は、腹立ちまぎれに高価なフランス型大時計を、拳の一撃で破壊し、アイルランドでは汽車の衝突場面が見たいと鉄道会社に命じて、蒸気機関車2輌を調達し、同じ線路を向かい合わせに走らせて正面衝突させ、その現場を仲間と見物して大笑いした。もちろん鉄道会社には莫大な破損料を支払った」

ともかく非常に破天荒な人物だったそうでしてね、ボクサーとして腕力があった事からパンチが強く、機嫌が悪いと街に出かけて強そうな男に喧嘩を売り、ノックアウトして憂さ晴らしをしていたらしく、時には相手が強過ぎてのされてしまう事もあり、友人達が慌てて自宅に担ぎ込んだりもしたそうです。
また、馬術にも長けていたので、馬に乗ってビルの屋上から向かいのビルの屋上に飛び移ったりした事もあった。
こんな人物だった為、その奇行ぶりがよく新聞のネタになったそうなんですがね、ちょうどバネ足ジャックが出現し始めた1938年の10月頃から、彼は病気と称して私邸に引きこもり、しばらく人前に姿を見せなくなった。
元気者の彼にしては珍しく、友人達も仮病を疑い、裏で新しい悪戯遊びとしてバネ足ジャックに浸っていたのではないかと思われたそうです。
現に、ジャックのマントの内側にあった「W」の縫い取りは「ウォーターフォード」の頭文字であるし、ブラックヒースでポリー・アダムズが怪人に遭遇した日には、ヘンリーは同地のメイズ・ヒルにあるバンブラ城に滞在し、収穫祭に出かけていたそうなんですよ。
また、彼の笑い声は甲高くて特徴的だったそうで、後に妻となったルイーザは、ヘンリーが今笑っていたかと思うとすぐに激怒する様な二重人格である事について手紙で言及しているそうです。
また、ヘンリーの大学の仲間には、機械工学の専門家がいたので、密かに彼に依頼してピョンピョン跳ね回る事が出来るスプリング・ブーツを作らせたのかもしれないんですね。
でもって、いかにも恐ろしい感じにメイクして、眼の周りに蛍光塗料を塗れば、闇でも光って見えるし、口から吐く火に関しては、当時ロンドンの見世物小屋で口中にアルコールを浸した布を含んで火を吐く芸があった為、無鉄砲な侯爵なら、素人だろうと火傷の危険を顧みず試したとも考えられるんだ。

しかし、そんなヘンリーも31歳で結婚した後は、悪戯とは縁遠くなり、1859年3月末に、カラモアへ狩りに出かけた際、乗馬でキツネを追いながら小さな柵を越えようとして失敗、落馬して首を折って即死した。
数々の冒険をしてきた侯爵にしては、あっけない最期であり、享年48歳だった。
ところが、こんなにも正体として疑いが濃厚であった彼の死後にも、バネ足ジャックは出現したんですよ。
ゴーストハンターとして有名なイギリス作家エリオット・オドネルは、著書の中で「当時の新聞を賑わせたウォーターフォード侯爵は、バネ足ジャックの正体を知っていたはずである。彼がバネ足ジャックではなかったにしろ、その取り巻きの貴族の子弟がそうであった可能性は高い。しかし、1837年以来、今日(1948年)まで100年以上に渡って、毎年の様にイギリス各地でバネ足ジャックの出没が報じられてきた事は、侯爵だけがバネ足ジャックではなかった事の証拠である」と記しているんですね。

あー、私もスプリング・ブーツ欲しいかも・・・。
アマゾンとかで売ってないですかね~?

きっと跳んだ分だけ周囲にドン引きされますヨ?

運動神経の無い貴様がそんなもん履いたら、天井に首突っ込んでプラーンとなるのが関の山じゃろ。


【トリックスター最後の悪戯】


墓地に現れたバチ当たりなバネ足ジャック▲

墓地に現れたバチ当たりなバネ足ジャック▲
20世紀に入ってから、バネ足ジャックが実際に目撃されたのは、1904年9月末、リヴァプールのエヴァートン地区にあるウィリアム・ヘンリー・ストリートだった。
夕方、住民のハドソン夫人が何気なく窓を開けると、夜空から巨大な蝙蝠の様なものがこちらに向かって飛んでくる。
夫人は慌てて窓を閉めた。
うわ~、嫌なもん見ちゃったな~ってな感じで、しばらくしてガラス越しに外を覗いてみると、そいつはもう消えていた。
眼の錯覚かと思い、夫人はこの事を誰にも言わずにいたが、しかし翌日の同じ時刻に窓を開けると、同じ黒い影が高いかかとのブーツを履いて道路を跳ね回っているのを目撃したそうなんだ。
すると次の瞬間、その怪人は隣家の屋根を越して見えなくなったそうです。
翌日、近所の奥さん方にハドソン夫人がその話をしてみると、他にも目撃者が出てきたそうで、バネ足ジャックの事を覚えていた老人達が結構いた為、彼の再来だとたちまちエヴァートン中に話は広まった。
そして、その数週間後のよく晴れた日の夕方の事、ウィリアム・ヘンリー・ストリートは大勢の人々が集い大騒ぎだった。
バネ足ジャックが現れ、道路から跳躍して屋根に乗り、さらに、屋根から屋根に跳び移り、身軽に移動したんですね。
ジャックはしばらく屋根の煙突に腰掛け、野次馬を眺めながら休み、それから屋根を越えると、ソールズベリー・ストリートに現れ、次々に騒ぎを聞きつけて家の中から住人が飛び出してきた。
ジャックはそれを見て街中に響き渡る程に甲高く笑い、やがて屋根の向こうに跳び、消え去った。
その間、30分程の出来事で、数百名がバネ足ジャックを目撃した。
警察はすぐに各道路に非常線を張り、不審者を片っ端から逮捕していったが、バネ足ジャックは網にかからなかった。
これが、彼が公に目撃された最後の姿です。
(以後も噂や個人的な目撃はあったらしい)


バネ足ジャックを題材とした小説やコミックが数々作られた▲

バネ足ジャックを題材とした小説やコミックが数々作られた▲
なお、UFO研究家のヴァイナー・ガーヴァンは、バネ足ジャックの正体は、地球に調査に降り立った宇宙人ではないかという説を唱えている。
宇宙人ジャックは地球の各地を偵察し、人口が過密だったロンドン郊外で、衣服や食料、道具等のサンプルの調達を行い、通行人の前に現れたり家を訪ねたりしたのも、人類とコンタクトを取ろうとしていた。
でもって、ジャックのマントはメタルメッシュの特殊服であり、空を飛ぶ事ができ、身体構造が地球人と異なる為、 口から炎も吐くし、地球の重力を無視して身軽に高く飛び上がれたってな事らしいですね。
まあもっとも、当然の事ながら、この説は誰からも見向きもされなかった様ですが。

缶コーヒーのCMじゃあるまいし、さすがに調査に来た宇宙人というのは飛躍しすぎですよね。バネ足だけに・・・。

バネ足というか逃げ足が早くて 結局逮捕されずじまいみたいですが、一体何者だったんでしょうね・・・。

少なくとも、驚異的な運動能力と性欲を持った変態なのは間違い無い。


【悪魔の足跡】


延々と続いていた足跡の主は一体?▲

延々と続いていた足跡の主は一体?▲
1855年2月8日の朝、イギリス南西部デヴォンシャー州トップシャムのアルバート小学校の校長は、前の晩に降った雪に覆われた村の道に一列に続く足跡を発見した。
足跡は長さ10cm、間隔は20cm程度。
最初、校長は蹄鉄を打った馬の足跡かと思ったそうなんですがね、よく見るとおかしいんだ。
校長が足跡を追っていくと、煉瓦の壁の前で足跡がなくなっている。
でもですね、その壁の裏から足跡はまた続いていたんですよ、ええ。
また、干し草の山で同様に足跡が途切れたかと思いきや、向こう側に続いており、さらには、どういう訳か屋根の上にも足跡が続いていたそうなんですよ。
しかもその足跡はですね、トップシャムからエクスマスまで、なんと一晩で160km近くも移動していたらしいんですよ。
その後、周辺の町でも同じ様な足跡が発見されたそうです。

発見された謎の足跡「デビルズ・フットプリント」の図▲
円弧を描く様な形で移動している。2月16日付の『タイムズ』紙に掲載された。

犯人はウォーキング好きの悪魔?▲

犯人はウォーキング好きの悪魔?▲
これらの出来事は、2月16日にロンドン・タイムズで詳細に公表され、この不思議な足跡は一体何者が残したものなのか、人々の間で様々な憶測が飛び交った。
アナグマ説、カワウソ説、ノガン説、ネズミ説、ウサギ説、イタチ説等があげられたんですがね、これらの動物が、160kmもの距離を一晩でを歩き続けたと言うのは考え難い。
迷信深い住民は悪魔のものじゃないかって疑ったそうなんですね。
この他の説では、実験気球が事故でワイヤーからはずれ、ロープの端で2個のシャックル(掛け金)を引きずった為、足の様な跡を残したというものがあります。
この説なら、一本の足跡の様なものを残したり、壁を昇り、屋根の上に跡が残っていた事にも説明がつく。
事実、付近で実験気球が行方不明になり、後日、捕捉されていたそうなんですねえ。
しかし、足跡発見の前の晩、風は東から西へ吹いていたのに、足跡は円弧を描く様な形で町から町へ移動していたそうなんですよ。
気球が風に向かって流される事なんて有り得ないのにですよ。
結局、150年経った現在でも、この事件の真相は謎のままです。

村興しの為に村人総出で頑張って謎の足跡を捏造したんじゃね?

なるほど、これで話題になれば観光客も集まって収入もウハウハですしね。

んな訳ねえだろッ!
第一、そうだったら村人達の足跡もつくはずでしょうが!
そういえば、日本でも2004年の春に、 和歌山県田辺市の富田の田んぼで1本足の足跡が発見され、 一つ目で一本足の妖怪カシャンボ(一本だたら)のものじゃないかって話題になりましたね。


2009年に発見された謎の足跡▲
バネ足ジャックの再来なのか?

2009年に発見された謎の足跡▲
バネ足ジャックの再来なのか?
2009年3月5日には、同じくイングランド南西部のデヴォンシャー州に154年ぶりに再び悪魔の足跡が現れたと話題になりましたね。
ウールズリー在住の老女ジル・ウェードさん(76)が自宅の裏庭にて、 まだ新しい雪の上に、例の足跡がいくつもあるのを発見したそうなんですね。
足跡は以前のものと同様に蹄の跡の様な形状をしており、 大きさは13cmで歩幅は28~43cm、 周辺には足跡の他に何かの作業を行った様な跡などはなかったそうです。
一部の生物学者からは野生動物の足跡ではないかとの声が上がっているそうですがね、 今のところ正体の特定には至っていないってな話ですよ。

参考:『ロンドンの怪奇伝説』 著・仁賀克雄
初出:[2007.12.09]


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