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[2012.10.06]

モンスの天使



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戦乱の最中、突如町の上空に現れた天使軍団▲

1914年、モンスの町に駐留するイギリス軍▲

1914年、モンスの町に駐留するイギリス軍▲
第一次大戦中に起こった奇跡として、「モンスの天使」ってのが語り継がれているんですよ。
1914年8月23日、ベルギーのモンスでは、イギリス軍(英仏連合軍)とドイツ(プロシア)軍による激しい戦闘が繰り広げられていた。
前線で孤立したイギリス軍は、装備も兵力も圧倒的に有利なドイツ軍に包囲されてしまい、 わずか2連隊を残すのみの危機的状況となっていたんですね。
で、敗色濃厚のイギリス軍兵士の誰もがもうダメだと思ったその時、 金色の髪をなびかせて、黄金の鎧を身につけ、 白馬にまたがった大天使が光の天使を引き連れて上空から現れたそうなんですねえ。
すると、天使達はドイツ軍に矢を放ち始め、イギリス軍を援護しだし、この天の助けによって、イギリス軍は無事退却できたってな話なんですよ。
この出来事は約30分、現場に居合わせた兵士の殆どが目撃し、 イギリス軍、ドイツ軍双方の兵士達によって報告がなされており、 その証言によれば、現れた天使の弓兵は、聖ミカエル、もしくはフランスの守護聖人ジャンヌ・ダルク、イギリスの守護聖人ジョージだったそうです。

どう見てもA.T.フィールド全開の天使軍団▲

また、他にも脱出を図るイギリス軍部隊と追撃しようとするドイツ軍部隊の間に天使が割って入り、ドイツ軍の足並みを乱したとか、 重傷を負った兵士の手当てをしているまるで聖母マリアの様な不思議な看護婦を見た、 ドイツ兵にも不思議な白い光に包まれて全身が麻痺して身動きが取れなくなったという証言があるそうなんですね。
しかし、それらの存在が実際に何であったかは謎のままです。

あわやのトコで天使光臨とか反則にも程があるじゃろ。

私にもテストの時とか応援に来てくれればいいのにな~。

聖なる力を利用したカンニングはいかがなものかと・・・。


アーサー・マッケン▲

アーサー・マッケン▲
水を差すようだがね、この逸話は、イギリスの怪奇小説家アーサー・マッケンが書いた『弓兵(The Bowman)』という短編小説の内容がほぼそのまま、 実話として混同されたものに過ぎない。
この小説は、1914年9月29日『イヴニング・ニューズ』に発表されたものでね、 イギリス兵士や一般の人々がこれを実話だと思い込んだ事を受けて、 作者のマッケン自身が「モンスの天使」の話はフィクションだと表明している。
しかし、それでも噂は掻き消えず、どんどん広まってしまった様だ。

んだよ、“ソースは2ちゃん”みてーなもんかよ。

なかなか厨二病っぽい釣りでしたね。

当時は今みたいにネットやテレビも無く、曖昧な情報が一度一人歩きしてしまうと真実を確かめる手立ても限られてたでしょうからね。


モンスに現れた天使▲
その姿は敵軍のドイツ兵にも目撃されている。

モンスに現れた天使▲
その姿は敵軍のドイツ兵にも目撃されている。
確かにこの話が語られる様になったのは、1915年の春以降らしく、マッケンは作品の着想を出征兵士から聞いた戦線での怪奇譚や新聞記事から得たそうです。
当時の新聞は軍部により厳しく検閲され、モンスの敗戦についても、不利な状況から奇跡的に退却する事が出来たと大げさに書かれてたりしたそうなんですよ。
しかし、実はマッケンの主張に反する資料もあるんですよ。
それはジョン・チャタリス旅団長が妻に充てた1914年9月5日付の手紙でしてね、これはアーサー・マッケンの短編よりも2週間早く書かれたものなんですね。
また、モンスで致命傷を負った兵士達を世話した看護婦フィリス・キャンベルは、兵士達から実際に天使の目撃談を聞いたらしく 「モンスの天使」が作り話とされているのは政府の隠蔽工作だとさえ主張してるそうです。

これ看護婦が暗に、「傷ついた兵士を癒す私こそが戦場の天使だったのよ」って言ってんじゃね?

嫌ですね、自意識過剰な女の人って・・・。私も気をつけよっと。

いや、誰もそんな事言ってないでしょ・・・。

首都ブリュッセルから南西50kmにある現在のモンスの街(市庁舎)▲
町名の由来は「城のある山」であり、その名の通り町は起伏に富んだ地形にある。

さらに、2000年秋に、イギリスの超常現象研究家で雑誌『レイハンター』の編集長だったダニー・サリバンは、ウェールズ州モンマウスにあるボニータ骨董品店で、 第一次世界大戦に関する手紙や日記、フィルム缶を見つけた。
その中に1914年のモンスの戦いに参戦し、ウィリアム・ディジーという軍人の手紙があり、彼は戦後、 モンスの天使の探求に生涯を費やした旨が記されていた。
どうやらディジーは、天使を探し当てれば、戦中に離れ離れになった恋人のマリーと再会できると信じてたそうなんですよ。
で、その思いは1952年に一応形になったみたいでしてね、 ある時、ディジーはダグという名の退役軍人が綴った手紙の天使の目撃談に注目した様なんですね。
その内容は、ノルマンディー上陸作戦の頃、アメリカとカナダの軍隊はイギリスのウッドチェスター・パークで演習を行っていたらしく、 そこにはゴシック様式の屋敷があり、ダグはそこで幽霊を目撃する。
するとその翌日、湖にかかる橋が崩壊し、20人の兵士が命を落としたそうです。
この話を知ったディジーは、その幽霊は死の天使と考え、目撃されたという屋敷に足を運んだそうです。

幽霊=死の天使って、こじつけ感が半端ない気が・・・。

長年探してたらなんかもう面倒になったんじゃねーか?

そもそも天使見つけたら恋人と再会出来るとか意味不明ですしね。

さて、サリバンが見つけたもの中には、墓石の前に浮かぶ天使の姿を写した写真があったらしく、 どうもこれは、ディジーが探していたウッドチェスターの天使じゃないかってな事になった。
さらに、フィルム缶には、天使の姿を捉えた実写映像が納められていたそうでしてね、その話を聞きつけたハリウッドの映画監督トニー・ケイは、 フィルムを50万ポンドで買い取り、映画化に乗り出すと発表したみたいです。
どうやら天使に関する都市伝説に一定の信憑性を見出した様なんですね。
ところが、2002年になって、BBC制作のドキュメンタリー番組「都市伝説の創作」において、急にサリバンは、 フィルムの話は捏造だと告白し、「自分は骨董品店に何度か言った事はあるが、何かを買った事はない」と言い出したんですね。
しかし、ボニータ骨董品店の店主ジョン・リード・スミスはBBCの取材に対し、ダニー・サリバンは来店して、 たくさんの手紙がくくりつけられた「天使」という文字の書かれたフィルム缶を購入していったと証言しているそうです。

一体なんで急に否定しだしたんですかね?
これは何か裏がありそうな、なさそうな。

ふむ、オカルト雑誌の編集長の証言という時点でもともと胡散臭かったがね。

さてはフィルムの中身はロリ系のアダルトビデオだったか・・・!

なるほど、確かに白人の幼女はまるで天使かと見紛う気持ちは分かりますが・・・って、んな訳あるかッ!

1666年、ロンドン大火の際に目撃されたという通称テムズ・エンジェル▲

『「声」を聞くジャンヌ・ダルク』(1879年、ニューヨーク、メトロポリタン美術館蔵) ▲
よく見ると背後の森の中に大天使ミカエル、聖女カトリーヌ等がいる。

『「声」を聞くジャンヌ・ダルク』(1879年、ニューヨーク、メトロポリタン美術館蔵) ▲
よく見ると背後の森の中に大天使ミカエル、聖女カトリーヌ等がいる。
天使ってのは、しばしば聖人の前にも姿を現しておりましてね。
有名なのはオルレアンの乙女ジャンヌ・ダルクですね。
むしろ彼女の生涯は天使によって決定付けられたと言っても過言ではないですね。
1425年、ジャンヌが13歳の時、初めて大天使ミカエルと遭遇し、その後も度々出現したらしく 「オルレアンに行き、国を救え」という啓示を受けて、 1429年、17歳の時に歴史の表舞台に登場する事になったってな訳みたいだそうです。
これらの天使は現在も活躍している様でして、1973年10月6日、第4次中東戦争のさなか、 エジプト・シリアの連合軍はヨルダン川の一角でイスラエル軍を包囲した。
戦力比はおよそ20対1、圧倒的優位に立つイスラム軍はイスラエル軍を殲滅すべく、 大量の戦車を動員して猛攻撃を加えようとしていてた。
ところが、戦車が一向に前進せず、キャタピラは砂煙を上げてなかなか進まないどころか、 逆走している戦車すらある奇妙な状況になってしまったそうなんですね。
イスラエル軍兵士の証言によれば、信じられない事に、 白い光を放つ巨大な手が空中から現れ、敵の前線と味方の前線の間に分け入り、 敵の戦車を押し戻したそうなんですねえ。
こうした天使の目撃事例の中にはもちろん、誤認や作り話などの可能性もありますがね、 だからと言って、決して全てを否定する事は出来ないんじゃないでしょうかねえ。


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