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[2012.09.22]

大ピラミッドの謎



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3大ピラミッド(一番奥がギザの大ピラミッド)▲

クフ王の像(エジプト考古学博物館蔵)▲

クフ王の像(エジプト考古学博物館蔵)▲
古代エジプト文明を象徴するピラミッドは、正史では今から4650年程前から1000年間に渡って作り続けられたと言われ、 正確には分からないが、現在までに約80基が発見されている。
その大部分は朽ち果てているが、ギザのピラミッド群は今なおその原型を留め、 いわゆるクフ王、カフラー王、メンカウラー王の3大ピラミッドと言われている。
フィロンが選んだ世界七不思議のうち、唯一現存するものである。
このうちクフ王のものは、紀元前2540年頃に20年以上かけて建築されたと考えられ、 建築当初は45階建てビルに相当する高さ147メートル(現在は頭頂部が失われ137メートル)、底辺各230メートル、使用されている石250万~280万個(当時は黒、赤、緑など様々な色が使用されていた)、総重量は推定685万トンという最大の規模を誇り、大ピラミッド(Great Pyramid)と呼ばれている。
金字塔という言葉の由来になったのも頷けるスケールである。

ギザの大ピラミッド▲

巧みにダンジョンを攻略する9世紀のアラブ部隊▲

巧みにダンジョンを攻略する9世紀のアラブ部隊▲
大ピラミッドについて最初に言及したのは古代ギリシアの歴史家ヘロドトスだ。
彼は各地を旅して著した文献の中で「大ピラミッドはクフ王の墓である」と記している。
だが、この大ピラミッドは他のエジプトの遺跡に見られるヒエログリフ(象形文字)が刻まれておらず、 しかも盗掘を防ぐ為に入口を隠す石組みがなされていた。
大ピラミッドの内部に最初に足を踏み入れたのは、エジプトのカリフ(回教主)アル・マムーンである。
818年、彼は北面の斜面の下を掘り進み、内部の通路を探り当て、大回廊から王の玄室に到ったのだ。


ハワード・ヴァイス▲

ハワード・ヴァイス▲
これをきっかけとして次第に内部の構造が明らかになっていき、 1837年には、イギリスの軍人ハワード・ヴァイス大佐が内部の壁面を火薬で爆破し、王の玄室の上部に新たな部屋を発見した。
この5層からなる小部屋は王の間にかかる重量を軽減する働きをしているといわれる事から、 現在「重力拡散の間」と呼ばれており、一番上の屋根の様な形をした部屋と、上から二番目の部屋の壁には象形文字が赤い塗料で記されていた。
彼はそのカルトゥーシュ(王名の絵文字)を解読し、クフ王の名であると断定した事により、 これまでヘロドトスの記述のみにあったクフ王の墓という説が裏付けられた形となった。
しかしまだ謎は多く、玄室には石棺があったが、そこにはファラオ(王)のミイラは安置されておらず、 副葬品すら発見されなかったのである。

造った事に満足してうっかり安置し忘れちゃったとか?

どんだけ古代人マヌケ揃いなんですか!

でも肝心のファラオは何処行っちゃったんでしょうね?

クフ王のピラミッド断面図▲
1.入口 2.盗掘孔 3.上昇通路入口 4.下降通路 5.未完の地下室 6.上昇通路 7.女王の間 8.水平通路 9.大回廊 10.王の間 11.控えの間 12.脱出孔

重力拡散の間▲

重力拡散の間▲
王のミイラや副葬品が無かった事については様々な説が唱えられ、 ピラミッド内にある未発見の秘密の部屋に隠されているとか、そもそもピラミッドは王の墓ではなく、 別の目的で造られたものだという従来の定説を覆す考えも出てきたのだ。
現在は後者の説が有力とされており、大ピラミッドは古代の天文装置だったのではないかと言われる様になっている。
と言うのも、大ピラミッドの4つの斜面は正確に東西南北を向いていて、その誤差は1度の20分の1しかなく、 正確な方位を示す斜面と太陽の落とす影との関係から、古代の人々は季節の変わり目を知り、 農耕に役立てていたのではないかとか考えられるのだ。
ピラミッドは数学的にも興味深い特徴があり、 ピラミッドは二等辺三角形を4枚組み合わせた形であるが、その底辺の半分(115.185m)と高さ(186.444m)の比率は、 最も美しい比とされる黄金比1:1.618になる。
また、ピラミッドの4つの底辺の長さの合計を高さの2倍で割ると、π(円周率)に限りなく近い数字が得られる。
他にも大ピラミッドの高さを10億倍すると、地球と太陽間の最短距離である1億4700万キロになり、 また、重量を100兆倍すると、地球の質量に等しくなるという。

うへ~、数学の授業みたいで私にはよく分からないですけど、とにかく何か凄いんですね。

ピラミッドは現代の建築技術でも作る事が困難みたいですからね。

つーかピラミッドが王の墓じゃないとかもう詐欺じゃろ。

4面体ではなく実は8面体だったピラミッドの航空写真▲

年に2回、春分と秋分の時のみ目視可能だという▲

年に2回、春分と秋分の時のみ目視可能だという▲
さて、一見すると4面体の三角錐で構成されているこのピラミッドであるが、 厳密には実は8面体だというのだ。
これはもともと、第二次世界大戦以前に英国空軍によって偶然撮影された航空写真から判明した事実らしく、 この写真をよく見てもらうと分かると思うが、 三角形の中心が窪んでおり、二等分されているのである。
この状態は年に2回、春分と秋分の時のみ、真東から昇る太陽がピラミッドの角度に達する僅かな時間だけ 目にする事が出来るそうである。
これは地理学や天文学的に繊密に計算され設計されている為であり、 現代の技術を用いても再現は難しいという。

ほんとだっ、何かうっすら窪みがありますね。

んで、この仕様は一体誰が得するんじゃ?

それを言っちゃ身も蓋も無いですよ・・・。


左が上空から見た3大ピラミッド、右がオリオン座▲

左が上空から見た3大ピラミッド、右がオリオン座▲
1994年、アメリカのロバート・ボーヴァルとエイドリアン・ギルバートが共著『オリオン・ミステリー』の中で発表した説によると、 ギザの3つのピラミッドの配置は、紀元前1万450年のオリオン座の位置を模したものであるという。
これもまた、古代エジプト人達の天文学の知識と建築技術が高度であったという事を物語っている事実と言えよう。


クフ王の名を記したカルトゥーシュ▲

クフ王の名を記したカルトゥーシュ▲
ところで、シュメール言語学者のゼカリア・シッチンも、大ピラミッドは1万年以上前に造られたものと示唆しており、 「重力拡散の間」で発見されたクフ王の名を記した象形文字(カルトゥーシュ)を調べなおしたところ、 記述内容に初歩的なミスがあり、どうやら発見者のヴァイスが自分で書いた偽物の可能性が出てきたそうなのだ。
シッチンによれば、当時のヴァイスの行動には不審な点があり、 発見の功績を得ようと目論んだ彼自身によって落書きされた捏造品だとしている。
しかし一方で、エジプト考古最高評議会 (CSA) 事務局長のザヒ・ハワス博士は、 この落書きの先端は、壁面の組み合わされた石材の間まで入り込んでいて、 即ちそれはピラミッド建設当時に書かれたという事に他ならず、 後の時代の誰かに書かれたというのはありえないと見解を示している。
だが、そもそもこのカルトゥーシュを「クフ」と読むのではなく、「ラータ」とも読めるという説がある。


建造中のピラミッドのイメージ▲

建造中のピラミッドのイメージ▲
これに関連し、20世紀の予言者エドガー・ケイシーのリーディング(催眠状態における情報の引き出し)によれば、 大ピラミッドはアトランティス文明の記録を保管し、人類の歴史や予言を後世に残す為のもので、 紀元前10490年~10390年に100年間かけて建造されたものらしい。
そしてその時代、アラーラートという名の王が統治し、 ピラミッドの建設は大神官のラータ(ラー)という人物が宗教的指導者となり、 ヘルメスが建設設計者で、ラータの妻イズリス(イシス)がそれを補佐したという。
そう、建設指導者であった大神官ラータなる人物とカルトゥーシュで読めるラータという名が一致するのである。
さらに、ピラミッドの建造にはアトランティス人も加わり、アトランティスの科学も採り入れられたともされる。
ここまで来るとさすがに荒唐無稽な感は否めず、 実際エドガー・ケイシーのピラミッドに関する予言は既に外れているものもあり、 信憑性は低いと言わざるを得ないが、それでも彼のリーディングが何らかの真実の一端に触れている様に思えなくもない。
そしてゼカリア・シッチンは、ギザの3つのピラミッドは、 エジプト王朝が始まるずっと前から存在していたものであり、クフ王もカフラー王もメンカウラー王も、 元々あったピラミッドを自分らの墓として使ったのではないかという大胆な仮説を唱えたのである。
つまりピラミッドは1万年以上前に異星人により造られた(または手助けされた)ものであり、 その目的は宇宙船を誘導する為の目印であったというのだ。

宇宙人とかアトランティス人とか胡散臭い奴ポッと出過ぎじゃろ・・・。

でも、こんなハイクオリティーなら宇宙人が絡んでる気もしますね。


ピラミッドパワーのイメージ▲

ピラミッドパワーのイメージ▲
ピラミッドが宇宙人によって作られたと言われる理由の一つにはピラミッドパワーが上げられます。
1930年、クフ王のピラミッド内部の玄室を見学していた フランスのアントワーヌ・ボビーは、置いてあったゴミ入れを見て奇妙な点に気がつきました。
捨てられて数日はたったはずの果物の食べ残しが、乾燥して腐った様子が全く見られなかったのです。
さらに猫とネズミの死骸も腐らずにミイラ化していたそうです。
ピラミッド内部は湿気があって当然腐るはずなのに、 不思議に思ったボビーはピラミッドの形状に注目し、ボール紙でピラミッドの模型を作り、 玄室の位置に肉や卵を置いて実験してみたところ、 それは腐らなかったそうなのです。
これを受けてピラミッドには脱水作用があると考えられたのですが、 他にも古い剃刀の刃を入れたところ、刃が再生したり、水や酒の味がまろやかになった、植物などの成長は早まったという報告がなされ、 通常の物理的効果とは異なる現象である事が判明したのです。

ピラミッド内での瞑想▲

1970年代になると、アメリカのラファエル・イフラがピラミッドパワーに関する実験を行いました。
その内容は、被験者の脳波を測定した後、高さ1.2メートルのピラミッドに入れて瞑想をさせた状態で脳波を測定するというものです。
結果はピラミッドに入る前と入った後の脳はに大きな変化が現れ、 ピラミッド内では脳波が非常にリラックスした状態になったそうですが、現在でもそのメカニズムは分かっていません。

私も部屋にピラミッド設置してみよっかな。

中に入っても胸は成長しねえと思うがな。

そ、そんな狙いじゃないですよ!

19世紀の大ピラミッド及びスフィンクスの様子▲
1798年にナポレオン・ボナパルトがギザを訪れた時にも、スフィンクスの首から下は砂に埋もれていた。

玄室のナポレオン▲

玄室のナポレオン▲
かのナポレオンがエジプト遠征の際、大ピラミッドの玄室を訪れたそうなのですが、 その時、彼は自らの未来を幻視する神秘的な体験をしたそうです。
その後、ナポレオンは真っ青になってピラミッドから出てきたそうです。
また、イギリスの学者ポール・ブラントが実験で玄室で一夜過ごしたところ、 暗闇の中で渦を巻きながら飛び交う化け物を目にし、翌朝彼は息も絶え絶えの状態で助け出されたそうです。
ピラミッド内部では、こうした奇妙な精神作用が引き起こされるという事は古くから知られていたらしいです。
ピラミッドと言うとエジプトの物が有名ですがアメリカ大陸のアンデス地方や、日本などにも存在します。
アステカ、インカの時代に多く作られました。
一つ一つが数~数十トンもあるピラミッドの石を正確に積むのも高度な技術ですが、 アンデスではその時代(アステカ~インカ)に現在でも難しい脳外科手術の技術もあり、 中には頭蓋骨が治癒して手術の穴が塞がりかけている骨も見つかっているそうです。
このようにピラミッドを含めた技術、知識、文化を古代人にもたらしたのは宇宙人だという考えを「宇宙考古学」といい、 こうした説を唱える人を「ピラミッドロジスト」(Pyramidologist)と言うそうです。
宇宙考古学は様々な文明に言える事で、メソポタミアに文明をもたらしたとされる半魚人型の神なども、それに当てはまるのではと言われています。

ナポレオンは玄室で一体何を見たんでしょうねえ?

毎日の様に浣腸される晩年の自分の姿じゃねーの?(※脚注1)

脚注1:ナポレオンの死因は胃ガン説が有力だが、2004年に米国の法病理学者チームが「症状を和らげる為に使用した幾度にも渡る浣腸が原因」という説を発表している。

復元されたクフ王第一の船▲

復元されたクフ王第一の船▲
1954年と1987年には、大ピラミッド脇で2隻の船が発見された。
この船は太陽神ラーのもと、復活する王を運ぶ儀式の船に似ていた事から通称「太陽の船」と呼ばれ、 紀元前2500年頃、当時のファラオであったクフ王の為に造られたとされている。
第一の船は全長42.32m、全幅5.66mもの大きさで、発見時は649の断片に分解され、 重さ10数トンの巨大な石蓋の下の石抗に収められた状態であったそうだ。
現在は、エジプト考古庁により28年の歳月を掛けて発掘と復原が行われ、ピラミッドの傍の博物館に展示されている。
この船が何の為に造られたかは解明されていないが、 実際に水で使用された形跡があった事から、 現在の研究では、クフ王自身が巡礼地を訪問するのに使用され、 クフ王が死んだ際には、メンフィスからギザまで王の防腐処置を施した死体を運ぶ為のものであったとか、 クフ王が来世で使用する為に埋められたとも推測されている。
1987年に発見された第二の船は、現在、 2011年6月23日よりエジプト考古庁と吉村作治教授ら早稲田大学エジプト学研究所の共同で発掘と復原作業が行われている。

何千年も前のバラバラになった船を再現出来るなんて凄いですよね。 私なんかプラモ組み立てるのも無理ですよ。

クフ王これ乗って巷をブイブイいわせてたのかもしれぬな。

上空から見たギザの3大ピラミッド▲
ピラミッドの語源は諸説あるが、ギリシア語で三角形のパンを指すピューラミスに由来するという説が有力とされる。

ワークマン・ビレッジ▲

ワークマン・ビレッジ▲
少なくともピラミッドは公共事業で建てられたという事が明らかになっており、 「エジプトはナイルの賜物」と言われるように、年に一度起こるナイル河の氾濫によって良質な養分を含んだ泥土が運ばれ、 肥沃な土地が自然と作られていた。
しかし、氾濫が起きている4ヶ月間は、農地が使えない為、農民達は失業状態になっていたのである。
そこで国王は失業対策としてピラミッド建設という公共事業を打ち出し、国民が生活に困窮しない様にしていたという。
この事の裏付けとして、ピラミッドの南東1キロ程の場所に建設に従事していたと思われる人々の町が発見されている。
「ワークマン・ビレッジ」と名付けられたその現場は、出勤簿や建設用具、家族からの手紙、日用品等が次々出土し、多数の墓も見つかっている。
これまでピラミッド建設といえば、何処からか無理矢理連れて来られた奴隷達が厳しい労働環境で働かされて作られたものというイメージが あったが、クフ王に仕えていた神官の墓から発見された碑文には、「ビールとパンを支払い、人々を保障する」と刻まれていたという。
中には農耕に携わらないピラミッド建設の専従者もいて、そうした人々は家族を呼び寄せてピラミッドが完成するまで一緒に暮らし、怪我をすれば手当てを受け、 亡くなれば丁重に葬られたと推測されている。
また、面白い事に、出勤簿には欠勤理由のひとつに「二日酔い」と書かれていたらしく、労働者がいかに、大切に扱われていたかが察せられるだろう。
ピラミッド自体が何であるのかは現在も謎のままだが、 彼らが成した偉業は、今後も何千年もギザの大地に君臨し続ける事であろう。


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