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[2012.09.16]

リンカーネーション



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輪廻転生のイメージ▲

ダライ・ラマ13世(32歳頃の写真)▲
1879年 - 1933年

ダライ・ラマ13世(32歳頃の写真)▲
1879年 - 1933年
リンカーネーション(Reincarnation)ってのは霊魂の転生、いわゆる生まれ変わりの概念を意味しましてね、 こうした生まれ変わりの事例というのは昔から数多く存在しているんですね。
転生の思想は古代インドのウパニシャッド哲学に遡り、 “霊魂は不滅であり、前世から来世にかけて流転し続ける”ってな輪廻説が、仏教やヒンドゥー教にも受け継がれているんですね。
チベット宗教・政治の最高指導者ダライ・ラマは襲名制ですがね、第1世から現在の第14世まで生まれ変わり続けてきた同一人物とされる為、 先代と同一の魂を持つ子供だという事になるんだ。
その為、厳正な候補者捜しが行われるんですがね、その即位までの過程は次の様なものだったんですよ。
ダライ・ラマ13世は1933年11月に息を引き取り、その直後から摂政や高僧、高官達による転生者捜しが始まった。
チベット仏教では、転生者が亡くなると、49日間以内に地上の何処かに生まれ変わると信じられているんですね。
(場合によっては2、3年後に生まれ変わるケースもある)
高官達は祈祷と瞑想によって転生者を発見する為の手がかりを幻視するんですよ。
そして出生地のイメージなど、転生者を特定する為の様々な印を得て、それを頼りに転生者を探しに出かけるってな訳なんですよ。

ラサのポタラ宮▲
歴代ダライ・ラマの居住地にしてチベット政権の象徴である。

ラモ・トゥンドゥプ(現ダライ・ラマ14世)▲

ラモ・トゥンドゥプ(現ダライ・ラマ14世)▲
1937年、摂政率いる捜索隊が、ラモイ・ラツォという聖なる湖の水辺で数日間に渡り瞑想を行った結果、 ダライ・ラマの誕生地としてチベットの東北部にあるタクツェルという村が候補に挙げられた。
ここには高官が幻視した通りの環境で生まれた2歳になる男の子ラモ・トゥンドゥプ少年がいた。
しかし、それだけでは転生者とし認められず、厳格な試験にパスしなきゃいけないんだなあ。
まず、候補者が生まれた時の天球図(ホロスコープ)が作られ、体に特別の印があるかどうか確認した上で、 3歳になるのを待って再度テストが行われたそうです。
そのテストの内容は、多くの品物の中から、先代13世の形見の品を9個選び出させるってなものなんですね。
でもって3歳の子供は、前世を記憶していなければ出来ないはずのテストに見事合格し、彼はダライ・ラマ13世の生まれ変わりとして認められたんですよ。
こうしてチベットの寒村で生まれた男の子は、1940年2月22日に即位し、チベットの活仏として尊崇される事になった。
多少ケースの違いはあるそうですがね、初代から五百数十年間、その方法は一貫して変わらないみたいですね。

なるほど、かなり勘でなんとなく捜してるっちゅーのはよく分かった。

いや、だから幻視ですって・・・。
まあ、確かにスピリチュアルな世界は言ったモン勝ちの所が結構ありますけどね。

これもしも子供や家族が本気で嫌がったらどうするんですかね?


サティア・サイババ▲
(Sathya Sai Baba)
1926年11月23日 - 2011年4月24日

サティア・サイババ▲
(Sathya Sai Baba)
1926年11月23日 - 2011年4月24日
インドのサティア・サイババも聖者の転生者とされる。
1940年5月23日、サイ・ババが14歳の時、自分はシルディ・サイババの生まれ変わりで、シヴァとシャクティのアヴァター(化身)であり、人々の悩みを取り払うために降臨したと宣言した。
シルディ・サイババは19世紀半ばにインドのデラバード州パトリで生まれた。
シルディ・サイババの両親はバラモン(ヒンドゥー教の司祭)階級であったが、 幼児期にイスラム教のスーフィー僧に預けられて育ったという。
やがて成長し、シルディ村の荒れ果てたモスクに住むようになった彼は、そこで神の教えを説き、数多くの奇跡を起こした。
例えば、聖灰(ヴィブーティ)を病人の体に塗って病気を治したり、 幽体離脱をして遠方に駆けつけたりしたそうで、神の化身として崇められた。

もうこの髪型からして奇跡的ですよね。
神の化身というか髪の毛神ですよ。

ああ、頭に貯め込んだフケをバラまく例のモジャモジャか。

聖灰ですよ!
あんまふざけた事言ってるとインド人にフルボッコにされますよ!


シルディ・サイババ▲
(Shirdi Sai Baba)
生年不詳 - 1918年10月15日

シルディ・サイババ▲
(Shirdi Sai Baba)
生年不詳 - 1918年10月15日
シルディ・サイババは1918年に没したが、死に際に「使命をまっとうする為に、8年後に南インドのヴィシュヌ神を信仰する家に生まれ変わる」と予言したという。
サティア・サイババが生まれたのはそれからちょうど8年後、1926年11月23日の事だ。
南インドのプッタパルティという小村で、両親はヴィシュヌ神を信仰していた。
つまりシルディ・サイババは予言通り生まれ変わったのだ。
彼の信者の一人であったチンジョリの妃殿下は、ある日サティア・サイババの夢を見たらしく、 そこでサティアは「私はシルディ・サイババの生まれ変わりです」と告げたそうだ。
妃殿下はプッタパルティに住むサティアに会いに行き、彼と話したところ、自分とシルディしか知りえないプライベートな事が次々と語られたそうだ。
彼女はシルディが生まれ変わった事を確信し、すぐにサティアに帰依したという。
なお、サティア・サイババは自らの死を予言しており、2020年に94歳で死に、8年後にインドのカルカータ州でプレマ・サイババとして生まれ変わる・・・とされていたが、2011年4月24日に84歳で逝去してしまった。
しかし、サイ・ババの団体であるサティア・サイ・オーガニゼーションによると、 インド暦・太陰暦では95歳である為、サイ・ババは自ら予言した通りの歳で亡くなったとしているそうだ。

当たり前だけど、初代は今のサイババと全然雰囲気が違いますね。

うむ、何処のタコ焼き屋のオヤジかと思ったぞい。

クレームが怖いので余計な事ばっか言わんでくださいよ・・・。

六道輪廻を描いたチベットの曼荼羅▲
恐ろしい形相をした「死」が輪廻世界を支配している。

仏教で知られる輪廻転生は、現世の行いによって来世が決定されるってなもんでしてね。
輪廻の言葉通り、車輪が回転するが如く魂は様々なものに生まれ変わりながら、6つの世界を永遠に巡る訳なんですよ。
この6つの世界は六道(りくどう)と言い、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道から構成されるんですね。
この輪廻から脱する事を解脱って言うらしいんですがね、これが唯一出来たのは仏教じゃ釈迦だけとされているみたいなんですね。

なんというサイケデリックなルーレットじゃい・・・!

地獄にだけは絶対ダーツの矢を刺したくないですね。

あなた方はいっぺん生まれ変わった方がもうちょいマトモになれるかもしれませんよ?


イアン・スティーブンソン博士▲

イアン・スティーブンソン博士▲
20世紀の中頃になると、アレクサンダー・キャノン博士によって、生まれ変わりの科学的研究が始められた。
催眠を用いて、1,300人以上の被験者を、紀元前何千年という昔の記憶にまで退行させることに成功したキャノン博士は、 1950年に生まれ変わりの存在を認めざるを得ないと結論付けた。
キャノン博士は、過去生への退行催眠によって、被験者達の精神症状が治癒される事に着目し、 1970年代から80年代にかけて、何千人もの患者をこの「前世療法」(ヒプノセラピー)で治癒した。
こうして、それまであまり目を向けて来られなかった生まれ変わり事例の研究が本格的に行われるようになる。
アメリカ、ヴァージニア大学医学部精神科教授のイアン・スティーブンソン博士は、生まれ変わりに関する研究の第一人者であり、 彼の研究チームは世界中から数千の生まれ変わりの事例を収集し、調査を行った。
その結果、2000例以上ものケースに信憑性が認められたという。

前世のカルマからいい加減解放されたいってもんですよね・・・。

例えば、ミャンマーに住む女性マ・ティン・アウン・ミヨは、「自分の前世は日本兵だった」と言っている興味深い事例なんですよ。
彼女は1953年、ミャンマー(当時はビルマ)北部にあるナツル村で生まれたんですがね、 彼女の母親によれば、妊娠中に上半身が裸で半ズボン姿のずんぐりした日本兵に追いかけられ、 「生まれ変わってお前たち夫婦のところで暮らすつもりだ」と言われる夢を見たそうなんですよ。
マ・ティン・アウン・ミヨが奇妙な行動を示しだしたのは、3、4歳の時だそうでしてね、 ある日、ナツル村の上空に飛行機が現れたのだが、それを見たマ・ティン・アウン・ミヨは異常に怖がり、 「撃たれる」と言って泣き叫んだ。
それ以降、彼女は飛行機恐怖症に陥るまでになった。
また、4歳頃、メソメソしていたので理由を尋ねたところ、「日本に帰りたい」からだと答えたそうなんですね。
そして彼女は次第に、第二次大戦中に日本兵だった前世の記憶を語り出す様になった。
それによると前世の彼女は、ナツル村に進駐していた炊事兵であり、 日本軍がビルマから撤退している最中、連合軍の飛行機が村に飛来した際、 機銃掃射で股の付け根に被弾したのが致命傷になり戦死したらしいんですね。
また、北日本の出身で、結婚して5人の子供がいて、戦前は小さな商店を経営していたそうなんですね。
実際、マ・ティン・アウン・ミヨは妙に男性的だったそうでしてね、普段は女の子はしない戦争ごっこや蹴球などを好み、 日本人が刺身を好む様に、魚を生のまま食べたがったりしたそうなんですね。
現地のものではない言葉で喋る事もあったそうです。
また、男児の様な服と髪型にしたいと頑なに言い張った結果、11歳頃にとうとう学校を中退する派目になってしまったそうなんですね。
そういや、彼女の母親も股の付け根に茶色の傷のような痣があったらしいってな話ですよ。

勝手に来やがったくせに「日本に帰りたい」じゃねーよハゲが。

でもすごい記憶力ですよねえ。
私なんか昨日の晩ご飯も何食べたかよく覚えてないのに・・・。

通常の記憶力とは違うベクトルのものだと思いますが、風谷さんの記憶力が残念なのは確か見たいですね。


ジョーン・グラント▲

ジョーン・グラント▲
こんな事例もあります。
イギリスの作家ジョーン・グラントは、いくつもの過去世を転生し続けたそうなんですよ。
1937年、グラントは処女作『翼あるファラオ』を発表したんですがね、時代考証が非常に正確な事が絶賛され、彼女は一躍有名になった。
ところが彼女は、全く史料を用いずに、前世の記憶だけを頼りにその本を書き上げたそうなんですよ。
彼女は子供の頃から奇妙な記憶があったものの、自分でもそれが何だかよく分からず、また、話しても誰にも信じてもらえないと思い、 10代まで隠していたそうなんですね。
しかしある時、記憶は夢の中で蘇る事に気づき、夢を書き留める訓練を始めたところ、 彼女はそれが現在の自分になる前の記憶であると理解する。
しかもですね、自分が他にもいくつもの前世を生きていた事を知り、その中のひとつに古代エジプトのラムセス2世の時代に、男性として生きていたそうなんですね。

私も頑張って前世の自分を思い出してみます。
ヨーロッパのお姫様とかだったらいいな~。

これは頑張ってどうにかなるものではないと思いますが・・・。

お前の前世なんぞ人間じゃなくてダンゴ虫か何かじゃろ。

うぐっ、せめて哺乳類でお願いしますよお・・・。


輪廻転生のイメージ▲

輪廻転生のイメージ▲
先述のイアン・スティーブンソン博士によれば、 子供が前世の記憶を話し始めるのは、2歳から5歳までの間が殆どで、平均3.2歳だという。
そして5歳から8歳までの間に前世の話はしなくなる事が多いそうだ。
博士の分析では、この頃の年齢になると、他人に順応しなければならず、他の環境に適応する事で経験を積み、 その記憶によって前世の記憶が覆われて消えてしまうのだという。
これは誰でも一度は経験した事があるデジャ・ヴュ(既視感)を思い起こさせるものだ。
なお、輪廻転生に関する一つの仮説として、 人間の脳内には個人の記憶が記録されている物質があり、死んだ時にこの物質が大気中に放出し、 やがて母親の胎内にいる子供の脳や、 既に生まれている小さな子供の脳に入り込み、 あたかも生まれ変わりの様に故人の記憶が甦らせるのではないかと言われている。

よく「人は死んでも心の中で生き続ける」って言われますけど、 その人に関わって影響を受けたり、何か物理的に残して貰ったりする事で、後世にその情報が継承されていくっていうのも、 ある意味では輪廻転生なのかもしれませんね。


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