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まるで俗世を解脱したかのように空が近い、岩手県八幡平市の標高1000mの山岳高原には、滅び行く複数の建造物が聳えている。
かつて栄華を築いた「松尾鉱山」の成れの果てである。
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20世紀初頭に開かれた同地は、最盛期の1960年頃に東洋一の硫黄(※1)産出量を誇り、人口1万人超が住む近代的な鉱山町だった。
※1:この地(旧・松尾村)に硫黄鉱山が存在する事は、江戸時代の文献にも記録されていた。
しかし、山深い地点で採掘は困難などの理由から開発は遅れ、
19世紀末に地元の者に硫黄の大露頭が発見された後、1911年にようやく本格的な採掘が始まったという。
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しかし、高度成長期に伴う硫黄の需要減少で1972年に閉山。
今では集合住宅「緑ヶ丘アパート」の廃墟群(※2)がひっそり取り残され、不気味な程に壮観な景色を形成している。
※2:しばしば心霊スポットとして紹介される事もあり、誰もいないはずなのに足音やノックの音が聞こえるなど、怪現象の噂があるようだ。廃墟マニアかドールマニアの気配かもしれない。
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その似通った歴史背景と圧倒的な規模感から、“陸の軍艦島”の異名で呼ばれ、日本を代表する廃墟の一つと見做されているようだ。
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11棟からなる4階建てアパートは、日本初期の鉄筋コンクリート造りの集合住宅で、1951年に労働者の福利厚生施設として竣工。
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棟はそれぞれイロハ順で区分され、中層と下層の8棟は連絡通路で繋がっている。
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少し離れた場所には、単身者向けの別棟「至誠寮」も作られ、道路上からも間近に眺められる廃墟となっている(※3)。
※3:昔は周辺に木造長屋も多数並んでいたが、閉山後の延焼実験で全て焼却された。 |
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こうした鉄筋コンクリート造りの集合住宅は、県都である盛岡にさえ当時は存在しなかった。
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室内には、水洗トイレやセントラルヒーティングといった最先端の設備も取り入れられていたという。
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当時を偲ばせる残留物も僅かに見受けられ、
15000人の住人(労働者4000人とその家族)の生活水準がいかに高かったかが伺い知れる。
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しかし現在、建物の崩壊は進み、特に屋上は長居する事が憚られる程激しく傷んでいた。
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鉱山の操業時代は、小・中学校(※4)や病院、商店、郵便局、図書館、劇場(※5)、大浴場などの施設も内包・併設されていた。
※4:閉山後、中学校の校舎は大学の合宿所として再利用されたが廃墟化(2013年頃解体)。
体育館には通称「赤い部屋」と呼ばれる異様な一画(壁がスプレーで赤く塗られ、マネキンなどが設置されていた)があり、
見所の一つとなっていた。
※5:「老松会館」という娯楽施設で、映画の上映や芸能人を招いて講演などが行われたという。 |
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その為、
荒廃した現状からは想像し難いが、下界から“雲上の楽園”と羨望される程だったという。
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日本の近代化を物語る産業遺産だが、廃坑から流れ出る鉱毒水が周辺の生態系に影響を与える事から、
近くに中和処理施設が建設され、今も稼働し続けているという負の側面も持つ。
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あたかも失われた楽園が、人類滅亡後の未来を予見する巨大モニュメントとなり、過去から現代に警鐘を鳴らしているようでもある。
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