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超トンデモ通信Z
[2014年02月] 

どうも、進路希望調査票に「ミステリーハンター」と書いたら担任に鬼の形相されて、仕方なく進学に修正した風谷葵です。
この様にして私達は、いつの間にか大人達にとって都合のいい答えのレールを強いられていくんですね・・・。(遠い目)
ここでは、日々いろんな所からよせ集めたオカルティックなニュースを、 私独自の素晴らしい見解を交えつつお伝えしちゃいますよ~。



[2014.02.09 17:00]

進撃しまくり!大航海時代パタゴニアで双頭の巨人が捕獲されていた!?



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まさに奇行種といった感じで凶暴そうな双頭の巨人(Two-Headed Giant)▲
トーマス・ハワード主催「Kap Dwa Show」のプロモーション画像である。

1673年、南米パタゴニアにて双頭の巨人がスペイン人によって捕獲されたという伝説があるそうです。
そもそもこのパタゴニアという言葉は、アルゼンチンとチリの両国に跨る地域名ですが、「パタゴンの土地」という意味があるらしく、 南アメリカ南端にいたとされる伝説の巨人族パタゴンの名が由来となっているそうなんです。
(ちなみに通説ではパタゴニアの“Pata”の部分は足もしくは足跡に由来し、つまり「大足の人の国」という意味だと解釈されているそうですが、語尾の“gon”が何を意味しているのか不明らしいです)
16世紀の探検家マゼランによって名付けられたパタゴン族は、身長が少なくとも普通の人間の2倍はあったとされ、 おおよそ3.7~4.6mあったとも、もしくはそれ以上の超大型巨人がいたかもしれないとも言われているそうです。
現代人からしたら信じられませんけど、 彼らパタゴンの存在は18世紀末に否定されるまで、巨人伝説としてヨーロッパでは250年もの間に渡って語り継がれていたみたいです。

1766年、ジョン・バイロンの船がパタゴニアを訪れた際に船員(左)が子供の為のパンをパタゴニア人女性に与えているとされているイラスト▲
パタゴンについて歴史上で初めて言及されたのは、 1519年に人類初の世界一周の航海に出発し、 その途中で南アメリカの海岸を訪れたマゼランとスペイン艦隊の乗組員達によるものらしく、 マゼラン探検隊の数少ない生き残りの1人であるアントニオ・ピガフェッタが残した記録には、 そこで出会った先住民の事を“裸の巨人”と表現しているそうです。
(毛皮を着ていたとも書いているそうですが)
その後の新世界(南北アメリカ大陸)に関する16世紀から18世紀の地図にも、 この地域をregio gigantum=巨人国と表記しているものや、巨人のイラストが描かれているものが沢山あるみたいです。
1766年には、ジョン・バイロンが指揮するHMSドルフィン号が世界一周の航海からイギリスに帰ってきた際、 その船員によってパタゴニアで2.7mの背丈の現地部族を見たという噂が流れたそうですが、 1773年に出された航海に関する最終報告改訂版では、 パタゴニア人達の身長はせいぜい2m前後だとされ、確かに背は高いものの巨人という程ではないと記録されているそうです。
また、バイロンは、船員が見たのは背の高い身体的特徴が一致するパタゴニアの先住民族テウェルチェ族だったのではないかと考えたそうです。
いずれにせよ、以降はパタゴニアの巨人伝説は初期のヨーロッパ人航海者達による誇張、 つまり冒険譚をより面白くする為にちょっと盛って話しちゃった事によるものだと見なされるようになったみたいです。

「ニューキャッスル・オン・タインフェア1971」という催しで展示された時の様子▲
双頭の巨人のミイラとされるもの▲
ミイラは"KAP-DWA"と呼ばれている模様。

さて、こうした事から、 パタゴニアの巨人自体は私達が想像する巨人よりもショボく、あだ名レベルの可能性がありますが、 少なくともそう呼ばれた対象のパタゴン族は、ピガフェッタの記録によると、 マゼランによってお土産みたいなノリで何人かが捕まえられてスペインの船に乗せられたそうですが、 いずれも後の太平洋での過酷な航海途中に死んでしまったそうです。
実はこの時スペイン人に捕獲されたパタゴンの中に、双頭の巨人もいたらしく、 彼は船のメインマストに縛り付けられたものの、お約束通り拘束を破って大暴れし、4人の船員を殺したそうです。
しかし、双頭の巨人は戦闘の末、槍で胸を刺された事が致命傷となり、死亡してしまったそうです。
その後、彼の遺体がどうなったかはしばらく不明だったものの、 19世紀になってからミイラとしてイギリスに運ばれ、いつしか"KAP-DWA"と呼ばれ、ショーの興行師に売り渡され様々な場所で展示され続けた後、 1914年にノース・サマセット州のバーンベック桟橋(現在は廃墟の観光地)にあったエドワーディアン・ホラー・サーキットなる見世物小屋で45年間置かれた後、 1959年にトーマス・ハワードという人物に購入され、さらに何人かの手に渡ってから、 最終的にメリーランド州ボルチモアにあるアンティークマン社の所有になり、 オーナーのロバート・ガーバーさんの奇妙なコレクションとして、ガラスケースに収められて展示されているそうです。
(もっともこのガーバーさんは、ミイラの出所については別の説明をしており、インディ・ジョーンズ風の冒険の末に得たものと主張しているそうですが、 誰も本気で信じてはいない模様)
なお、このミイラ、ぶっちゃけ作り物感がたっぷりですが、一応1930年代に医師や放射線技師がイギリスのウェストンで調べたところ、「偽物である証拠が全く見つからない」として、彼らはそれが結合体双生児の類なのではないかと推測したんだそうです。

・・・巨人なだけでも十分レアなのに双頭かよって感じですが、こんな中ボスみたいな奴が本当にいたのだとしたらファンタジックでワクワクしますよね。
駆逐してやるのが相当大変そうですけど・・・双頭だけに。
あ、いや、今の無しで!
読者の皆さん、お願いですから、どうか巨人も乗り越えられない様な心の壁を作らないでください~!(全員無視)


Sorce 【Mysterious Universe / etc】


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