どうも、 やられたら呪い返す、オカルト返しだ!な、風谷葵です。このくだりも段々厳しくなって参りましたが今更後には引けません。 もういっそ、私に言わせたい内容とか募集しちゃおうかな?(何かいいの思いついたらメールください) ここでは、日々いろんな所からよせ集めたオカルティックなニュースを、 私独自の素晴らしい見解を交えつつお伝えしちゃいますよ~。
どうやら、ヒトラーの軍隊に防寒用の毛皮を提供する為に、 強制収容所で巨大なアンゴラウサギを繁殖させる為の 奇妙な計画がコッソリ行われていた事が判明したそうです。 「オペレーション・マンチカン」と名付けられた この計画は、SS長官のハインリヒ・ヒムラーによって発案されたものらしく、 彼はホロコースト(大量虐殺)の実行者となる以前には、 鶏農家としてのキャリアを有していたみたいです。 計画は1941年から開始され、アウシュビッツ、 ブーヘンヴァルト、ザクセンハウゼンとダッハウといった 強制収容所やその他27のキャンプに 「ブリーディング・ステーション」なる ウサギ小屋が設けられたらしく、 収容所の囚人が飢えと拷問に苦しむ中、 ウサギは暖められた小屋の中でヌクヌクと過ごし、 新鮮な野菜が毎日与えられたそうです。 この計画は、もっぱら冬の厳しい寒さに晒される Uボートの乗組員や ドイツ空軍パイロットの為に防寒具としてコートや下着、靴下等を 大量生産しようとしたものだそうで、 計画自体は1945年にバイエルンのテーゲルンゼー湖にあるヒムラーの家で発見された『アンゴラ・ブック』という 文献に記されていた事により判明したそうなんですが、最近までドイツのアーカイブに保存されていたみたいです。 アンゴラウサギ▲ ウサギの世話は収容所の囚人にもやらせていたそうで、ウサギの餌となる野菜の栽培を余儀なくされたり、 彼らがウサギを粗末に扱ったりした場合、囚人は処刑の対象になったりしたそうです。 この計画によって、1941年に6500羽だったウサギが 1943年には25000羽を数えるまでとなったそうなんですが、 この時点で戦争はドイツの劣勢となりつつあり、 計画が凍結された際、最終的に毛皮の総量は5トン未満であったそうです。 その後、収容所が解放された際には、複数の空っぽのウサギ小屋と、 物置に山積みにされた毛皮のコートが残されていたらしいです。 ・・・さすが第三帝国、考える事が違うですね。 一応部下達の事を思った寒さ対策みたいですけど、一方で囚人は家畜以下の扱いだったりして、 人道的なのか非人道的なのかよく分かりませんね。 そんな事よりアンゴラウサギって綿アメみたいでめっちゃ可愛いですね~。あー、モフモフしたいよ~、モフモフ~。(全員ドン引き)
・・・さすが第三帝国、考える事が違うですね。 一応部下達の事を思った寒さ対策みたいですけど、一方で囚人は家畜以下の扱いだったりして、 人道的なのか非人道的なのかよく分かりませんね。 そんな事よりアンゴラウサギって綿アメみたいでめっちゃ可愛いですね~。あー、モフモフしたいよ~、モフモフ~。(全員ドン引き)
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