やっほー、この星に巣くう人類という名の寄生虫共ー。天才美人魔女のエレアよ。ここではね、日々起こる世界中の「マジカヨ!?」って感じのニュースを、あたしがわざわざ教えてあげちゃうわよ。見逃したらただじゃおかないからね☆
中国の重慶市棊江県郭扶鎮にある大容(ダロング)村には、毎日小石を食べてる80歳になろうというババア老婆がいるそうよ。彼女はラオ・カイロン(羅開容)さんといって、過去70年間以上に渡って小石を食べ続けてるそうで、小石の好みにうるさい為、柔らかい石は決して食べず、山から取ってきた硬い緑色の砂岩が一番のお気に入りらしいわ。硬ければ硬い程美味しいんだって。以前には壁を半分食べた事もあるそうで、石を食べ続ける彼女の歯は擦り減ってしまい、これまで入れ歯を3回も変えたそうよ。でも、こんな習慣を持つ彼女は、村の同年代の老人の誰よりも元気で健康だそうよ。ラオさんによれば、彼女は貧しい家族の家に生まれたそうで、多くの兄弟や姉妹に囲まれて育ったそうなんだけど、2、3歳までは歩る事が出来ず、這って動き回っていたそうなのよ。その為、食べ物が無かった事もあり、いつしか土を食べる様になっていたそうなんだけど、彼女が成長し結婚して、棊江県に来てからは、この土地の土が口に合わなかった為、石を食べる事にしたんだってさ。それからというもの、彼女は毎日石を食べる様になり、最近になってやめようと思ったそうなんだけど、何日か食べないと落ち着かなくなり、うまくいかなかったらしいわ。・・・健康で長生きの秘訣は、石や土とかの大地のパワーを吸収する事なのかもしれないわね。まあ、中国の農村部の悲惨な食物事情が大きく起因してるのがアレだけど。石かじるって絶対動物モンガーかよ。今後は是非とも、食べかじった石の破片を、口からマシンガンの如く発射する技を獲得してほしいわ。(何が何だか)
11年間に渡って土を食べている女性が、北京で検査を受けているそうよ。この女性は内モンゴル自治区に住む宝宝(パオパオ)さんっていう19歳で、7歳の頃に、川で水遊びをしていた際、急に土を食べてみたいという衝動にかられたそうで、いけない事とは思いつつも、ついつい食べちゃったらしいの。そしたらそれが思いのほか美味しかったらしく、それ以来、外で遊ぶ度に少しずつ土を食べる癖がついたらしいわ。最初のうちはこっそり食べてたらしいんだけど、1年経った頃に親にその行動がバレ、病院に連れてかれたんだって。でも、精密検査の結果、彼女の身体は問題無く健康だったそうなのよ。で、パオパオさんは、土に含まれている微量の元素を食べる事で、栄養を補充しているのかもしれないと推測されたそうなんだけど、世間体を気にした彼女の両親は、小学校を訪れ、先生とクラスメートに彼女が土を食べないように見張る事を頼んだそうよ。まあ、パオパオさんは学校のトイレでこっそり土を食べてたらしいけどね。(タバコじゃるまいし)で、土を食べる量は徐々に増えていき、今ではおやつ代わりだったものが、主食代わりと化したそうで、1日に0.5kg~1kgの土を食べてるらしいわ。パオパオさんによれば、土なら何でもいいって訳ではなく、小麦粉を練った様な感じの黄土が一番のお気に入りらしく、市内では土壌が汚染されている為、時間が空いた時は郊外の公園とかに行って採取してくるそうよ。・・・彼女ならきっと、何処ででも生きていけるわね。世界が滅亡しても、たった1人だけ生き残りそうよ。あたしも今度、試しに食べてみようかなー?
インド洋で獲れた魚に、イスラム教の聖典であるコーランの一節が浮かび上がっているとの事で、ケニアのモンバサ港に何百人ものイスラム教徒がやってきてるそうよ。「驚異の魚」と名付けられたこの魚は2.5kgのマグロで、あまりに人々が集まる為、国の水産省が保管する事になったらしいわ。このマグロにを発見したのは鮮魚商のオマール・モハメッド・アワドさんで、捕獲した魚を取り出した時に、尾鰭近くのウロコにアラビア文字の様な模様に気がつき、モンバサにあるケニア国立博物館の学芸員ハッサン・モハメド・ハッサンさんに売却したそうよ。ハッサンさんによれば、アラビア語の学者がこのマグロを調査したところ、この模様はアラビア語で「Allahu Khairu Rrazioqeen」と書いてあり、「神はもっとも偉大な恩恵者」という意味のコーランの一節だと判断したそうなのよ。また、ハッサンさんにこの事を報告された、ケニアのイスラム教指導者会議のシェイフ・モンバサ・ドー事務総長は、「アラーが我々人類ににあてたメッセージである」と解釈しているそうよ。刺身にして食ったら、アラーのご加護が受けられるかもね。まあ、そんな事したら、イスラム教徒による集団リンチを確実に受けそうだけど。
先日伝えた、イギリスの最高峰であるベンネヴィス山で発見された謎のピアノに関する情報が寄せられたみたいよ。てゆーか、ピアノだといわれていたものは実はオルガンで、ボナーブリッジに住む木こりのケニー・キャンベルさん(64)が、1971年にガンの慈善事業の為に運び上げたものだったらしいのよ。彼は4日かけてピアノを頂上付近まで運び上げ、そこで『スコットランド・ザ・ブレイブ』って曲を弾いたそうで、「彼らが見つけたものはそのオルガンに間違いない。鍵盤が無かったのは、私がはずして友人達にやったからだ。その頃私にはファンたくさんいたからね。」と話したそうよ。で、後日、キャンベルさんが山頂からオルガンを降ろそうと、再び山に登ったそうなんだけど、オルガンの破片しか見当たらず、誰かが埋めたんだろうと思って引き上げたらしいわ。さらに、キャンベルさんは、オルガンの他にもビール樽や除雪車、ガスボンベとかを運び上げたそうで、今年65歳になったら回収に向かおうと考えているんだって。キャンベルさんのこれらの狂った変わった行動は、チャリティーで募金を集める為だそうで、何より彼が山登りが好きな事に起因するそうよ。・・・まったく、おかしなじーちゃんだわね。まあ、パワフルで何よりだけど。それにしても、せめて1週間は謎のままであって欲しかったわ。謎が解かれるのが早すぎるわよ。あ、てゆーか、あながちあたしの「熱いパトスを持った本物のピアノマン(元祖)が、20年前に人知れずイギリス一高い山の頂上で演奏して、悦に浸っていた」って予想、当たってるじゃないの。オルガンだったからオルガンマンだけど。でもさ、チャリティーでも何でも、山にゴミ捨てちゃダメよね。
先日15日、イギリスで一番高い山であるベンネヴィス山(標高1344m)の山頂付近にて、15人のボランティアがゴミや石を取り除いていたところ、頂上より200m以内の場所なのにもかかわらず、ピアノが転がってるのを発見したみたいよ。ボランティアを行ったベンネヴィス山を管理する慈善保護団体「ジョン・ミューア・トラスト」の最高責任者であるナイジェル・ホーキンズさんは、「ピアノを発見した時は、自分達の目を疑わざるおえませんでした」と語っているそうで、彼等ははじめ、それが単なる木製の箱だろうと思ったそうよ。ピアノは弦と鋳鉄製のフレームは残っていたそうだけど、鍵盤は見当たらず、発見後はボランティアのメンバーが解体し、応援にやってきたメンバーを含む30人がかりでどうにか山から降ろされたそうよ。また、300kg近くはあろうかというピアノを、一体いつ誰が何の為に山頂付近に持ってきたのかという謎を解く手がかりとして、ピアノの下で見つかったビスケットの包み紙に、1986年12月の賞味期限が記されてたそうよ。今回発見されたピアノは、山で見つかった物体としては、最も重く、最も異常であるとし、誰かが何らか(例えばギネス、スタント、チャリティーとか)の妙技を行う為に、ベンネヴィス山の頂上に持っていかれたのではないかと考えているそうで、ジョン・ミューア・トラストは、このピアノに関する情報を待ち望んでるらしいわ。・・・不法投棄にしては、えらく気合が入ってるわよね。アルピニストの健さんもビックリだわ。もしかしたら、熱いパトスを持った本物のピアノマン(元祖)が、20年前に人知れずイギリス一高い山の頂上で演奏して、悦に浸っていたのかもね。そんなアホなら、遺体が近くに転がってるかも。
なんかね、3300年前のエジプト国王ツタンカーメンのミイラの、失われていたペニスが発見されたそうよ。1922年に、イギリスの考古学マニアであるハワード・カーターさんが、ツタンカーメンのミイラを発掘した時には、ちゃーんとくっついていたそうなのよ。ほら、この写真はその際、ハリー・バートンさんによって撮影されたものらしいんだけど、股間に突起物があるでしょ。しこたま萎びてるけど。でもね、1968年に、イギリスの科学者ロナルド・ハリソンがX線写真を撮影する為に、ミイラをチェックしたところ、ペニスが消えている事に気付いたんですって。で、これまで何者かがペニスを盗んで売ったとか推測され、20世紀まで唯一盗掘されず無傷の状態だった王のミイラが、実は最も(?)大事な部分が失われいてたと思われていたそうなのよ。ところがね、昨年になって、ペニスがツタンカーメンの体から外れてはいたけど、墓の中に残っていた事が判明したらしいのよ。エジプト考古最高会議の責任者ザヒ・ハワース博士によれば、ミイラを墓から搬出してCTスキャンした際、砂の中に紛れ込み、ミイラ化しているペニスを発見したんですって。・・・まあ、何つーか、ちゃんと残ってて良かったわね。にしても、ミイラになるとこんなんなっちゃうのね~。生きてるし、くっついてるのに、小さすぎて、無いって言われる人もいるけどさ。お湯かけたら一時的に元気バリバリにな(乙女的に以下略)
インドのオリッサ州東部に、妻との口論がきっかけで家を出て、それから50年もの間、木の上に住んでいる男がいるそうよ。 ガヤダール・パリダさん(83)は現在、州都ブバネスワールから239km離れたクリガオン村の木の上で生活しているそうで、最初のうちは家から500m程離れた木の上に、小屋の様なものを作って生活していたそうなんだけど、やがて高さ40~60mにも及ぶ、マンゴーの大木に移り住んで、本格的に木の上で生活する様になったんだって。パリダさんの木の生活に対する執着心は逞しく、彼は池の水を汲む時くらいしか地上に降りてこず、家族に食べ物を持ってこさせてるらしいわ。また、嵐で枝が折れたりすると、他の大木を探して、ヤドカリの如く移り住んじゃうみたい。1999年の大嵐の時も、彼はずっと木の上で生活していたそうよ。パリダさんの奥さんによれば、ケンカの原因は些細な事なんだけど、夫は「死んでも家には戻らない」って言ったそうで、彼女は何度も夫へ許しを請い、家に戻ってくるように説得したそうなんだけど、パリダさんは全くそれを聞き入れず、ずっと木の上で生活し続けてるそうよ。また、パリダさんの一人息子バブラさん(55)は、「幾度となく家に戻ってきてくれるように頼んだけど、父はいつも猛烈に拒絶する。私はいつも落ち込んで家に帰らなければならなかった。今となっては、全ての努力が無駄だったと思う」って話したみたい。・・・アウトドアな引きこもりってのも珍しいわね。木の上って、そんなに居心地がいいのかしらね。にしても、まったく、しょーがないジジイよね。家族をそんなに心配させて。奥さん、さっさと離婚しちゃえば良かったのに。それか、木に火をつけるとか。