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ヤクート超文明〜竜王が眠る死の谷〜

ロシア連邦の東シベリア北部に位置するヤクート自治共和国(現サハ共和国)は、世界極寒の地として知られており、約70万人の人々が暮らしているが、鉄道も道路も未だ開発途上であり、国土の大部分が森林(タイガ)と永久凍土(ツンドラ)で占められ、殆ど手付かずのまま残されているという。
そんなヤクート北西部のビルユイ地区には、「ウリユユ・チェルケチェ(死の谷)」と呼ばれる広大なタイガが広がっており、周辺に住むヤクート族は、ここを禁断の地として決して近づこうとしないそうだ。
彼らの伝説によれば、死の谷は竜王の口であり、時々そこから火を噴出す事もあるらしく、また、入った者は全身が腐る病気に冒され、死んでしまうと云われているのだ。
故に現在では、ヤクートの一部族のシャーマンが、いわゆる四分点(春分、夏至、秋分、冬至)においてのみ、竜王に捧げる祭祀を執り行う為、死の谷に足を踏み入れる事が許されるという。
どうやら、1年のうちこの4日間だけ、「竜王の唸り」と呼ばれるものが止むのだそうだ。
1859年、ペテルブルク大学のR・マーク教授は、学者として始めて死の谷の実地調査を行った。
ヤクート族について民俗学的研究を行っていたマーク教授は、死の谷にまつわる伝説に興味を抱き、当時は地の果てと言われたビルユイ地区に実際に訪れたのだ。
現地に着いたマーク教授はヤクート族のガイドを雇おうとしたそうだが、高給を提示したにも拘らず、誰も応じなかったそうだ。
なんでもこの数ヶ月前に、死の谷で40年ぶりに火柱が立ったらしく、竜王の怒りを招きたくないという理由がもっぱらであったという。
仕方なく、マーク教授は現地で求めたトナカイに乗り、単身タイガの中へと進んでいった。
ビルユイ川に辿り着いたところで、さらに川に沿ってタイガの最深部の死の谷を目指していると、3日後にマーク教授は川原の土手に洞穴の入り口の様な穴を発見した。
それは明らかに自然のものではなく、近づいてみると、高さ3m、幅2m程の楕円形で、そこから地下に向かって急斜面に通路があり、しかも、壁面や床が全て赤く光り輝く金属で作られていたそうなのだ。驚いたマーク教授は通路の床にあった階段を降りていった。
するとそこは、直径20m程の円形の広間になっていて、全体が大きな半球型であった様で、内部も全て赤い金属で作られていたらしく、何処にも窓はなく、明かりを使っていなかったにも拘らず、内部は昼間の様に明るかったそうだ。
マーク教授はこの地下建造物の内部にキャンプを張って泊り込み、周辺を詳しく調査する事にした。
翌日、マーク教授はトナカイに乗って、湖畔から森の中へ入ったところ、クマバチの羽音の様な低い音がしているのに気がついた。
大きい音ではないが、「ブーン」という耳障りな響きが聞こえてきたらしく、恐らくこれが、伝説で云われていた「竜王の唸り」なのだろうと推測された。
この世界にも竜王とかいう強そうな奴がまだいたのか!
追い詰めて「世界の半分を貴様にやろう」とか言わせてーぞい!
無論全部もらうがな!
竜王に同情しちまいますね・・・。
ところで⊂二二二( ^ω^)二⊃ ブーンって音は何なんでしょうね?
唸りっちゅーくらいじゃから、胃腸が弱くて慢性的に腹でも壊してたのかもな、竜王。だとしたら、期待外れもいいとこな雑魚っぷりだが。
んな訳あるかっ!
マーク教授が森の中を進んでいくと、地面から斜めに突き出している巨大な鍋の様な物体を発見した。
突き出している部分は高さ3m程で、全体の直径は7、8m位だったらしく、鍋の外側は森の土壌と下生えに覆われ、内側は赤い金属が光り輝いていたそうだ。
これと同じ様な鍋が森のあちこちでいくつもあったという。
ヤクート族はビルユイ川の事を「アルギユイ・ティミルニト(大きな鍋の沈む川)」と呼ぶそうだが、この名称は明らかにこれらの鍋の様な物体から来ているものと思われる。
どうして森の中にそんなものが・・・。
恐らくこの巨大鍋は、相撲の力士共が大勢でちゃんこパーティーをやったはいーが、持ち帰るのが面倒臭くなって不法投棄されたんじゃ。
なるほど、現地の厳寒な気候を考えると、確かに鍋料理でも食べて温まりたくもなる・・・って、ヲイッ!
そしてマーク教授がさらに森の中を進んでいくと、木々がまばらになった広い場所に、全体が赤く輝く大きな建物があったそうなのだ。
それは上部が天文台の様に大きな球体になっていて、それを数本の柱が下から支えている様な形状をしており、全体の高さは約20m、球体の直径は10m程で、窓も入り口らしきものも見当たらなかったそうだ。
マーク教授が柱の1本に手を触れてみると、金属の硬さと滑らかさ、仄かな暖かさ、そして僅かな振動が感じられたという。
どうやらクマバチの羽音の様なものは、この建物から発せられているらしいのだ。
マーク教授はサンプルを収集する為、建物の一部を削り取ろうと試みたが、大型のハンマーとタガネを用いても、金属の表面に傷すらつける事が出来なかったという。
この時、マーク教授はこの赤い金属は無機質でありながら、まるで生物の身体の一部であるかの様に感じられたという。
1867年になって、マーク教授は再び死の谷を訪れたそうだが、しかしこの時は、かつてあったはずの鍋や金属製の建物は忽然と消えていたらしい。
だが、例のクマバチの羽音の様な振動音は依然として森の中に響き渡っていたらしく、マーク教授が綿密に調査を行った結果、鍋や建造物はかつてそれらが存在した場所の地中深くに沈み込んでいる事が判明したそうだ。
しかし、死の谷付近の地盤は硬い岩盤質である為、あれほど巨大なものが自然に沈下する事はありえないという。
何だったんですかね、その建物は。竜王の城にしてはショボいし。
もしやテロリストが来るべき聖戦の日に向けて、こっそり殺人蜂を養殖していたのかもしれんな。
随分地道な奴ですね・・・。
でもたしか、『Xファイル / ザ・ムービー』でもそんなシーンがありましたな。
現在、ウラジオストク市で年金生活を送るユーリ・ミハイロフスキ氏は、死の谷を実際に訪れた数少ない生存者の1人だ。
1949年の夏、当時彼は、砂金掘りであった父親と一緒にシベリアを放浪していたそうで、砂金が出そうな場所があれば行って掘るという生活を送っていたそうだ。
死の谷に入ったのも、ヤクート人の聖地には、手付かずの砂金が沢山あるんじゃないかと踏んだらしく、実際行ってみると砂金が豊富にあったそうで、ミハイロフスキ父子は大喜びで掘り集めたそうだ。
しかし、死の谷に入って1週間程経過したある夜、彼らがテントの中で眠っていると、突然、激しい地鳴りが起こったそうなのだ。
地鳴りが収まってからテントを這い出してみると、昨日まで何もなかったはずの場所に、巨大な鍋とキラキラ光るキノコの様な建物が建っていたそうだ。
すると父親は、キノコの様な建物の金属を削って町に持って行けば高く売れるかもしれないと考え、柱の部分をハンマーで叩き始めた。
しかし、いくら2人で力いっぱいやっても、傷すらつけられなかったという。
彼らが諦めかけた頃、急に建物の球体の上部が開いて、なんとピカピカ光る黒い服を着た人影が出てきたそうなんだ。そいつは全身が妙に角ばっていて、頭も角ばった仮面をつけており、表情は見えなかったそうだが、とても怒っている様に感じられたという。
恐怖に陥った彼らは、荷物もそのままに、全力で死の谷から逃げ出し、ほぼ半日走り続けたそうだ。
やがて、ここまで来ればもう大丈夫だろうと、ミハイロフスキ父子がビルユイ川の土手に腰を下ろして一息つき、すっかり暗くなっていたので、今夜はここで野宿しようと、地面に白樺の枝を敷き詰め、その上に横になった時、「キューン」という音が聞こえたかと思うと、大きな火の玉が夜空を横切り、その直後、「ドーン」という音がして、死の谷の辺りから大きな火柱が立ち上がったそうなんだよ。
地面は激しく揺れ、夜空は真昼の様に明るくなったそうで、驚いたミハイロフスキ父子はとにかく無我夢中で走り出したという。
また、火柱が立ったのは一瞬の事であったにも拘らず、夜空はいつまでも昼間の様に明るかったそうだ。
こうして、息も絶え絶えに走りに走った末、ようやく彼らはミルイというヤクート族の小村に辿り着いた。
ところが、ミハイロフスキ父子が村人達に事の顛末を話したところ、竜王の怒りを招いたという事で非難され、結局すぐに村からも逃げ出さなければならなかった。
その後、父親の方は逃亡の途中でヤクートの山賊に襲われて捕まり、殺されてしまったそうだが、息子のユーリは何とか生き残る事が出来たそうだ。
世の中、私利私欲に走ると、ロクな結果にゃならないって事じゃな。
あんたが言うなやっ!
それにそんな教訓レベルで括る様な話じゃないですヨ。
ついに住人が出てきたんですね。
そりゃ自宅をガツガツ叩かれたら誰だって頭に来ますって。
だからって、火柱に火の玉までドンパチしちゃうなんて、いささかブチギレ過ぎですよ・・・。
単に年に4回開催してた花火大会でも見間違えたんじゃねーか?
どんだけマヌケ揃いなんですかっ!
1981年、モスクワ大学のアレクサンドル・グテノフ教授は、旧ソビエト連邦科学アカデミーの委託により、「ビルユイ地区の特異構造物」に関する調査を開始した。
グテノフ教授は、1982年に発出した第一次答申でビルユイ地区における「古代遺跡の存在の可能性」について示唆し、「遺跡は岩盤の下に埋まっており発掘は困難」との見解を発表している。
だが、1983年の第二次答申は、ビルユイ地区を「特別保護区に指定し、一般人の立ち入りを禁止すべき」という見解を示し、また、エジプトのピラミッドを詳細に調査する必要性を強調するという、不可解な内容だったそうだ。
そしてそれ以後、グテノフ教授による調査は国家機密に指定され、また、間も無くしてソビエト連邦が崩壊してしまった事もあり、公に観覧出来る資料から調査に関する情報を入手する事は不可能となった。
しかし、調査自体は一時的に中断したものの、現在でもグテノフ教授をリーダーとする特別調査団によって続行されているという。
1996年夏、グテノフ教授はロシア政府に対し、「ビルユイ地区の特異構造物の利用に関する建白書」を提出し、本件についての情報公開を求めた。
どうやらグテノフ教授によれば、死の谷に関する知識は全人類が共有すべきものであるらしいのだ。
そして1997年1月、サンクト・ペテルスブルク市にて、ドミトリー・G・Hなる人物がグテノフ教授と接触し、死の谷の正体に迫る情報を提供してきたという。
それによれば、死の谷に散在する巨大な鍋やキノコの様な建物が建造されたのは、今から約100万年前の事だそうだ。
常識的には、その頃の地球文明の産物とは考えられないが、近年、ウラル山脈から300万年前に製造されたと思われるスプリングスが発掘されたという例もあるらしく、シベリア一帯にはかつて、超文明が繁栄していた可能性も考えられるのだ。
こうした特異構造物は、通常は岩盤をくり貫いて作られた地下のスペースに収納されており、必要に応じて地上に出現するらしく、現在までに、死の谷の地区周辺15平方kmの範囲で、特異構造物の存在が21基確認されているそうだが、それ以外にも地中に多数隠れているのではないかと推測されているという。
また、特異構造物を構成する赤い金属については、少なくとも地球に存在する物質ではなく、非常に弾性に富んでいるが、硬度は大して高くないらしく、表面をコーティングする三層の透明の皮膜が、ハンマーで叩いた位では傷もつかない剛性をもたらし、さらには、酸化や温度変化による老朽化を防いでいるという。
そして、地表を流れるエネルギーを転化して利用する事も出来るのだそうだ。
その活動は地球の動きと連動しており、1年のうち4日間、つまり、春分、夏至、秋分、冬至において、エネルギーの方向性が変わる為に、機能を一時的に停止するのだという。
まるで海外の道端にある公衆便所みてーな建物じゃな。
普段は地下に収納されてて金払わないと入れないやつ。
さては死の谷はトイレ・ランドだったん(以下略)
一体その特異構造物って何をする為の機械なんでしょうね?
てゆーか、100万年も前に一体誰が作ったんでしょうか?
100万年も前にそんなにも高度な建造物を築ける存在・・・。
これは明らかに地球外知的生命体の仕業と考えられないか?
現にミハイロフスキ父子によって、キノコの様な建造物からそれらしき住人が現れたのが目撃されているし、その容姿の特徴は、様々な宇宙人遭遇事件の証言とも通じるものがある・・・!
しかし、遠路遥々やって来たであろう宇宙人が、一体何を目的に、わざわざそんなもんを建築したんです?
これは俺の仮説に過ぎないが・・・、彼らの母星はかつて極めて高度な科学文明を誇っていたんだが、いつしかエネルギー源が残り僅かとなった為、国家間でそれを巡る激しい戦争が起り、地上には無数のミサイルが降り注ぎ、放射能によって人類は地下に追いやられ、絶滅は時間の問題となってしまったんだよ!
そこで最後の希望として、資源に恵まれた地球に一部隊を派遣し、人里離れた未開の地にこっそり装置を設置し、大地からエネルギーの調達を行っていたんだよ!
そう、つまり、ヤクートの死の谷とは、彼ら地球外種族の生き残りをかけた補給基地だったんだよ!
『宇宙戦艦ヤマト』みたいな話ですね。
ところで、伝えられるところによると、この死の谷における特異構造物は、1908年6月30日に起こったツングースカ大爆発事件が起きる約38分前に、最大級の活発な動きを見せたらしく、また、周辺地域では、隕石が落下する約30分前にも拘らず、既に地震が起こっていたという話もあるそうだ。
この事から、双方の現象には何らかの関連性があるのではないかとも推測されている。
参考:Esoteric


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